輪島の暑い夏と廃校


 

 夏らしい活動が復活し始めている。そんなことをはっきり感じ取る瞬間がある。気持ちの上でも、自分らしいなあと思うことがあったりして、図々しながらも10歳以上若返ったような、我田引水型の錯覚に陥(おちい)ったりする。

 何か考えてくれないか… ボクの仕事の中では、このような問いかけは日常茶飯事のことと言っていいのだが、ここ最近はどうも仕事的匂いがプンプンし過ぎていて面白くなかった。しかし、ここへきて、少しその匂いが変わってきた気がしている。と言うよりも、何だか以前に戻っていくような気がして、N居的アドレナリンがかつてのように騒ぎ始めてきたといった感じなのだ。

それは、ボクの前に現れてくる人やモノや、物語などが、新鮮であったり、奥深かったり、好奇心に満ちていたり、ワクワクさせてくれたりするからで、こういう状況にいると、ボク自身もどんどんその世界へと身体を乗り出していってしまう。ずっとそうやって、仕事的な中にも自分を融け込ませてきた。

 能登半島の先端、輪島の市街地を離れた海沿いの道には、海と人里との深い結びつきを伝える“能登らしい”風景が続く。

真夏の日差しの中、その風景を楽しみながら進んでいくと、小さな高校のグラウンドと校舎が見えてきた。

2002年の春に廃校になった旧県立町野高校だ。グラウンドは雑草がかなりの大きさにまで伸び、かつてプロ野球選手まで輩出した野球部の名残りであるバックネットも錆びついている。

目的地はその場所ではなかったが、その場所を活用できないかというある人の話を聞くために出かけてきた。しかし、その場所をじっくりと眺めてみて、そのあまりの状況に心の方までもが寂しくなってしまった。

話はとても興味深かった。お会いした地元の方は、廃(すた)れ気味になっているこの辺りの活性化に、この廃校の活用をと考えていた。この辺りとは、能登半島ではかなりの人気スポットである「曽々木海岸」のことで、かつてはホテルや旅館、民宿などが数多く営業していたが、今はぐっと数が減っている。古い看板だけが残ったような建物を見ていくと、その状況が想像できる。重い現実感が、明るい真夏の日差しの中なのに、はっきりと目に焼き付いてくる。

しかし、ボクはいつも思っているのだが、地元の人たちが楽しい顔をしていなければ、やって来る人たちも楽しくなれないはずだから、まずは自分たちが楽しくなれることを、どんどんやってみることから始めるべきだと。そのために旧町野高校の校舎やグラウンドを活用させてもらおうという発想から始めれば、最も素直で素朴な意見として切り口が作れる。そう思い、その人にそう話した。

その人は、ボクなんかよりも人生の大先輩にあたり、かなり大局的な見地でモノゴトを考えるタイプの人だった。出来あがりの理想形がすでに頭の中に描かれている雰囲気だった。ボクは“オイラたちやアタイたち”レベルでの活動に、まず活路を見出すべきではないかと思ったのだが、そのことがどれだけ伝わったのかは微妙だった。

紙に描いた絵や綴った文章だけでは、なかなかうまくいかない。それも根本的には大事だが、小さな活動からでもいいから、自分たちが楽しくやれることをやってみればいい。そのためのお手伝いならナンボでもやりますよと、ボクは告げた。告げた後で、ちょっと後悔なんぞもしたが、まあ何とかなるだろう…とも思った。

帰り際に、もう一度、今度はじっくりとグラウンドとその奥の校舎を眺めた。

そうだ、草むしりから始めよう。草むしりは除草(じょそう)だから、男ばかりで女装(じょそう)してやったりするのもいいな。タイトルには「女装で除草大会」的なんだぞの表現を入れて、コンテスト形式にしてもいいなあ。そして、その後、みんなで魚や肉なんぞを冷たいビールなんぞと一緒にいただいたりするのもいいなあ……と思った。

学校の建築物には、耐震のことやらでむずかしい課題があり、再利用というのには厳しい条件が付いて回ることは理解している。しかし、かといって、今のようなままで放置?されていたのでは、周囲のせっかくの美しい風景も蝕(むしば)まれてしまうような感じがする。

ここはひとつ、来年の夏に向けた宿題として、頭の右隅あたりに常に在庫しておこうかと思っている。活きのいい若者とまではいかなくても、元気いっぱいのオトッつァんやオッカさんあたりで、考えていきたい話だ。適度に、そして、それなりに絡ませていただく……


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