初めての山は剣岳だった


この写真は、山岳専門誌『山と渓谷』1986年6月号に掲載された、ボクの投稿紀行だ。

本格的な山行として初めて登った剣岳との再会を記したものだが、初の雪山の感動と、剣岳との再会を喜ぶボクの心情が、恥ずかしいくらい単純明快に綴られていて懐かしい。その後も何度か読者紀行というページに投稿させていただいたが、剣岳の話はこれ以外にも、もう一度掲載されている。剣岳が初山行の山であったことは、ボクにとって大きな誇りでもあった。

北アルプス大日岳への登り途中で。左が自分、右はいつも一緒だった親友・S 

 『剣岳 点の記』のDVDをこの一週間に三回観た。

 二回目からは特に山岳シーンは巻き戻して見たりして、ストーリーよりも山の世界の描写にばかり注目していた。

根本的な理由は明白だった。今夏本格的な山に行けなかったからだ。今夏どころか今春も昨秋もそのまた前の夏も春も冬も…という具合に、ボクのヤマ屋的エキスが希薄になっていき、ボクはただ悶え続けるだけだったのだ。山に入ってきた人間には、普通の空気だけではなく、ちょっと酸素が薄めの山の空気も時々必要なのだろう。この息苦しさはそのことの証に違いない。

そんなわけで、ボクは『剣岳 点の記』を食い入るように観た。そして、唸った。時々いいものに出会うとボクは唸るのだ。唇を噛みしめ、顔を右方向に三度くらい揺すりながら口の奥の方でウゥーッと声を出す。なぜ右の方にだけ揺するのかは自分ではわからない。この前、あることで唸った時に、偶然そのことに気が付いた。

『剣岳 点の記』である。ストーリーを詳しく説明するような野暮なことはやめよう。それよりも剣岳という日本を代表する厳しい山に挑んだ人たちを描く上での、その厳しさの描写にボクは独り拍手を送りたい。

  ( TV画面より)

スタッフや俳優さんたちの努力にも拍手を送りたい。それにも理由がある。それはボク自身も本格的な山として初めて挑んだのが剣岳であり、今の俳優さんたちのように、初体験として厳しい山行を強いられた記憶がまざまざと甦ってくるからだ。

 

大学を卒業して二、三年が過ぎた頃だったろうか。今の会社の当時富山営業所長をされていたTさんがリーダーとなって、剣岳に登ろうという話が持ち上がっていた。Tさんは山岳関係者の多い旧大山町(現富山市)の方で、剣岳や薬師岳などを中心に北アルプス北部方面に足繁く通っている山男だった。ちなみに『剣岳 点の記』の主人公の一人・宇治長次郎も大山の人だ。

集まったメンバーは総勢6名。Tさんともう一人富山の山男以外はみな初心者。今思えば何とも無謀なパーティだったと言えた。Tさんの呼びかけ方もいい加減だった。

ハイキングに毛が生えた程度のもんやからよ… あの映画を観た人なら、その言葉の無責任さが分かるだろう。そして、そのいい加減さがその後の悲劇?を生む ───

メンバーの中では圧倒的に若く、そして大学体育会上がりのボクにとって体力だけは誰にも負けない自信があった。予想どおりそれはすぐに実証される。登山口である番場島から急なルートとして知られる早月尾根を登り始めて三十分、そして一時間と時間が経過するにつれ、歩く速度に大きな差が生じ始めた。しかも、Tさんたち山のベテランでさえ、ボクのスピードについて来れなくなっていた。もちろんボクの歩き方そのものも、ただ早過ぎるだけだったのかも知れない。

何度目かの休憩の時に、Tさんが背負っていた大きなリュックを交換してくれと言った。その時ボクが背負っていたリュックは、友人から借りてきたもので、まさにピクニックかハイキングレベルのものだったが、Tさんのものは本格的なキスリングザックで、アルミパイプの背負子(しょいこ)に結んで背負うものだった。

ズシリと重い感覚が両肩にかかった。ザックにはポリタンクに詰められた日本酒も入っていた。山小屋か頂上で乾杯しようと持ってきたらしい。重くはなったが、背負子のおかげでバランスが良くなり、背中に馴染み始めると何だか充実感みたいなものまで生まれ始めた。

一度に自分が本格的な登山者になったような気分になった。そして、Tさんに言われた、お前は自分のペースでどんどん行け。とにかく登っていけば山小屋にぶつかっから、そこでオレの名前言って、先に小屋に入っとりゃいい…… その言葉どおりに、ボクは歩き始めた。正直、その時のボクには疲れなどほとんどなかった。

みるみるうちに後続の姿が消えた。深い樹林帯の中の急な登りが続いていた。樹林帯の中は“草いきれ”がすごい。しかもまだ梅雨真っ盛りの時季で、湿度も高く、想像をはるかに超える汗が吹き出していた。

そして、そのうち暗い樹林帯に大粒の雨が落ち始めた。雨は一気に本降りとなり、そのまま止む気配など見せずに降り続く。山の経験を積むと、落ち着いて雨具を身に着けることぐらい普通の行動なのだが、ボクにはそんな余裕などなかった。余裕がないというよりは、そのことの必要性そのものを感じていなかったという方が当たっていた。

その時の服装は、白いTシャツに首にタオルを巻き、コーデュロイの半ズボンに普通のソックス。そして足には底のやや厚いシューズ(オニツカタイガー製)を履いていた。

雨は一向に止む様子はなく強い勢いのままだった。道は川のようになった。靴がそのまま雨水の流れの中に隠れた。帽子も被っていない。頭から雨が流れ落ちてくる。全身がびしょぬれ状態になり、そのまま歩き続けていくと、ボクの中に奇妙な思いが生まれた。

厳しい山の世界に、今自分はいるんだなあ。ヒーローになった気分だった……

しかし、その思いは山小屋に着いた途端に完璧に打ち消される。

尾根に建つ伝蔵小屋(現在の早月小屋)の玄関に立ったボクの姿を見て、アルバイトで、間違いなくボクよりも年下であろう若いスタッフが、いかにも軽蔑するような顔をした。それが山へ来るかっこうかよ、といった目をしていた。

びしょ濡れになりながらも、元気よく、お願いしますと入っていった出鼻は完璧にくじかれ、ボクは力なくTさんの名前を告げた。畳が敷かれただけで、布団などが無造作に積まれた四角い部屋に案内された。若いスタッフは、服をすぐに着替えて、身体冷えてるだろうから毛布でも巻いていてくださいと言った。

しかし、ボクのリュックはTさんが背負っていて、ボクの着替えはなかった。小屋に入ってから、身体が一気に冷え始めていくのが分かった。ボクは思い切って素っ裸になり、直に毛布を身体に巻きつけることにした。

待つこと約二時間。Tさんたちが到着した頃にはボクは浅い眠りに落ちていた。

雨と風が翌日の出発を躊躇させたが、Tさんの強い判断でボクたちは次の日無事剣岳の頂上に立った。しかし、誰もボクのキスリングの中に入っていた日本酒を飲もうとはしなかった。山の恐ろしさが身に染みていた。

反対側の剣沢へ下山する途中の“カニの横ばい”と呼ばれる岩場の難所付近では、ボクはTさんの肩に足を載せて下ることができた。雨降り状況の中の岩場の恐ろしさを知らされた。すべてはボクが履いていった、役に立たないシューズのせいだった。

ほとんど昼食らしきものをとらずにいたボクたちは、雨の岩場で缶詰を開け、汚れた手をズボンなどで拭きながら無造作にむさぼり食った。近くでヘリコプターのエンジン音が聞こえていたが、あとで聞くと、転落者の搬送に上がってきていたらしかった。

ボクたちはその後、先頭と最後尾とに大きな差をのこしたまま、剣御前から雷鳥沢を下り、室堂平に再び登り返して無事全員下山した。体力不足か、半分死にかけたような人が一名いたが、何とか無事だった。

この剣岳山行は、ボクに大きなインパクトを与えた。まず、二度と山など登らないと決意させた。しかし、その後ボクは北アルプスの山々に入っていくことになる。初めは友人と二人の山行、その後は単独での山行。そしてその後は、単独であったり、集団であったりと。

なぜ山行を続けるようになったのかと考えると、やはり山への憧れがあったからなのだろうか。

剣岳の登山口である番場島には、「試練と憧れ」と記された碑が建っているが、本来の憧れるという感覚は、普通の観光地などにはなく、やはり山などを対象にした時に生まれるものだと思う。

『剣岳 点の記』の中でも語られる、「自然の美しさは厳しさの中にしかない」という感覚は、そういう意味で試練と憧れを象徴している。そして、「人は淋しさに耐えながら生きている」といった言葉もまた、そのことを意味しているのだと思う。

山には人の生き方みたいなものが凝縮されているということを、山に入って15年ぐらい過ぎた頃になって初めて実感した。教えてくれたのは、北アルプス・太郎平小屋の五十嶋博文さんだった。ただ心を落ち着かせて歩いていれば、必ずいつか目標地点にたどり着けるし、そこには雨も雪も風もあるが、それらも冷静に受け止められると。その時五十嶋さんと一緒に歩いていて、全く苦しさを感じなかった。そして、その後の山行を、ボクは自分自身のペースで力んだりせずにこなせるようになっていたのだ。

それから後も、山ではさんざん厳しい目に合わされた。しかし、山はよかった。ただ、それだけだった……


「初めての山は剣岳だった」への5件のフィードバック

  1. ナカイさんの山の原点が剣だったなんて、驚きました。
    薬師岳だとばっかり。
    俺はもう形から入っていった方ですけど、
    最初は白山だったんで、まったく普通でした。
    山のスタートが剣で、豪雨の中というのはツライですね。
    でも、やっぱり山行かなくちゃダメですよ。
    俺は白馬方面縦走してきました。
    映画で山感じてるなんて、ナカイさんらしくないゾ!!

  2. ごもっとも……

    ただ、純正山のエキスが沁み込んだのは、
    やっぱり薬師岳方面で、五十嶋さんや、
    その仲間の人たちの存在が大きかったね。
    そんな話も、2ページにわたって,
    「山と渓谷」の中に掲載されている。
    何年の何月号だったか忘れたけどne。

  3. ・・・劔岳、イイですよねー。

    あまり山での基礎体力および持久力のないワタクシではございますが、劔には二度ほどイッてます。とはいえ、最初のチャレンジは、宇奈月~裏ツルギ経由で、剣沢雪渓をアイゼンなしで登りつめてからのチャレンジでしたので、もうバテバテであえなく敗退・・・。剣沢のテン場でテント番をしていたという屈辱の登山行でした。で、雨風で停滞を余儀なくされた二度目のチャレンジでは、翌日なんとか登りましたが、いやはやなんとも・・・、といったカンジダ。

    おそらく、今の年齢&体力では、相当気合をいれないと、もうアウトな気がします。
    中居さんのサポート付きで、ぜひもう一回、チャレンジしたいですわ。ポーター代は払えませんがww

  4. パンチョさん。
    この場合はポーターではなく、「ガイド」だよ。
    ポーターは荷物運びみたいだからね。
    ガイド代は高い…yo。

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