法皇山横穴古墳群を活かす動橋川の風景


 

最近、かつての仕事人的旅人、いや旅人的仕事人かな? とにかくどちらでもいいが、そんなスタンスで、身近なところにあれやこれやと出かけている。そして、ふと懐かしい風景や人に出くわしたり、かつて見逃したり見過ごしたりしていたものなどに心を打たれたりもしている。

 金沢から国道8号線で加賀市に入り、しばらくして山中温泉方面へとつながる道に入ると、動橋(いぶりばし)川にかかる橋の手前に、「史蹟法皇山横穴古墳」と彫られた石柱が建っている。広い駐車場があり、奥に小さな建物があり、その背後に小高い丘のような山がある。名のとおり、国の史跡だ。

 6~7世紀の頃に造られたといわれ、山に横穴を掘り、家族集団の首長の人たちを葬った墓なのだそうだが、花山法皇(かざんほうおう)という方が、行脚(あんぎゃ)の途中、この地に立ち寄られ、大いに気に入られたと伝えられており、その花山法皇の墓なのでは?と伝えられたこともあった。しかし、大正時代の調査で、そうでないことが判った。ただ、その法皇さんとのゆかりを残した形で、今の名前となっているのだろう。

かつて、加賀市の観光の仕事に携わっていた頃、ボクはまず、観光資源の調査というのをやった。それは市が観光パンフレットなどで紹介しているポイントを自分の目で確かめ、客観的に評価してみようという試みだった。

そのことによって、ほとんど観光客には評価されないだろうと思われるポイントと、逆に大いに見てもらおうと積極的になれるポイントとを分類した。それは観光ルートをつくるという重要な作業に結び付くもので、そこで選ばれたポイントが、加賀市の観光ルートを形成し繋がっていくというストーリーになっていた。

 ただ、こういう場合、いちばん困るのが、この法皇山古墳のような場所だった。何しろ国の史跡だ。本来ならば、市として地元として大いに誇るべき資源なのだが、そうは簡単にいかない。それは、はっきり言って人を惹(ひ)きつける魅力に欠けるからだ。国の史跡と言っても、来て見れば、ただ小高い山があり、いくつか得体の知れない穴が開いているだけ。発掘された土器などが収蔵庫に収められているが、それとて特に目を引くものではない。しかも、解説もほとんどなくて、楽しめるとかタメになるとか、そのような要素もまったく期待できない。

ボクが初めてこの場所を訪れたのは、もう20年ほども前のことだ。駐車場で市の人と待ち合わせていたが、収蔵庫はカギがかかっていて入れなかった。市役所へ電話すると、開けてもらえるということが張り紙に書かれてあった。

 ところが、先日久しぶりに収蔵庫に行ってみると、扉が開いていた。こんにちはぁ、と言って入っていくと、奥の部屋から高齢だが、生真面目そうで、かなり知的な匂いのするご婦人が出てきた。入ってもいいですか?と尋ねると、どうぞどうぞ・・・と、答える。ボクは以前のことがあったので、ここはいつも開いているんですか?と、また聞いた。すると、ご婦人は忙しそうな素振りを見せながら、11月いっぱいは開いていて、12月から翌年の3月までは閉まっています、と、しっかりとした口調で答えた。前に来た時は閉まっていましたよと言うと、それは閉館期間中だったのでしょうと、またきっぱりと言う。

ボクは自分が初めてここへ来た頃とシステムが変わったのだろうと思い、これ以上この話は続けないことにした。そこへご婦人が逆に聞き返してくる。いつ頃、おいでになったんですか? ボクは20年ほど前です、と、妙に自信たっぷりに答えた。答えた後で、そんな前のだったら、ずっと閉まっていたのかも知れませんね・・・と、申し訳なさそうな顔をするご婦人を想像し、自信たっぷりに言ってしまったことに後悔した。しかし、私はそれ以前からここに来ていますから、と、さっきの3.5倍ほどのきっぱりさで言われた時は、横穴群の穴のひとつに身を隠したいような、そんな気分になっていたのだ・・・・・。

 ご婦人は、K上さんと言った。ボクがかつて、加賀市の仕事をさせていただき、ここへもたびたび来ていたことを話すと、会話の内容も、K上さんの表情も、口調も変わっていった。

国の史跡であるから、加賀市が手が出せないこと。収蔵庫という性格上、展示館のような演出ができないこと。K上さんは、市の担当から聞かされていることをボクに話してくれた。だが最後に、私は何にも分からないが、もう少し何とかならないのかと思いますよと本音も語ってくれた。聞くと、収蔵庫内の壁に貼ってある古墳の歴史などが書かれたコピーは、K上さんが自分で準備したものだそうだ。

だって、公開している意味ないでしょう ─── そのとおりだ。K上さんの言葉に力がこもっていた。

実は、この場所には別の意味での大切さを感じていた。

それは、感覚的な表現で言うと、“もどかしさ”に似ていて、単にボクが独りで勝手に思っていたに過ぎないことであった。それは、古墳の横を流れる動橋川のやさしい流れが織りなす素朴な風景が美しかったからで、その風景と一体化した古墳の在り方みたいな・・・、何だか自分でもよくは分からないことを、ただ漠然と好きな風にイメージしていたのだ。

かつて、橋の上から見下ろしていたり、堤を歩いて眺めていたりした川の風景は、心に染みついていた。20代の頃から、自分の中に息づいていた風景へのあこがれ・・・、その中のいくつかの要素が、そこにあったのだ。蛇行する流れと水の美しさ、そこで遊ぶ子供たちの姿、大きな遠景はないが、散策したくなる適度な広さがあった。それらがこの国の史跡である古墳の魅力を引き出す要素になる・・・。

 かつて、ボクは自分の仕事としての範囲を見究められないまま、何も提案しなかった。そのときはまだ、私的な思いや理想みたいなものを、仕事に重ね合わせることはそれほどできなかったのだ。今、特にそのことをどうのこうのと言うのではない。ただ何となくだが、自分自身の風景への思いを、仕事とのバランスの中で初めて意識させられたのが、この場所であったような気がしている。国の史跡なのだから、もっともっと多くの人たちに知ってもらいたいという思いと、そのためにはもっとその場所に魅力を創らなければならいという思い。その魅力の要素が、動橋川の風景にあったとボクは思っていた。仕事的に見ていくと、こういった課題?は、いたるところにある。

今流行りのB級グルメではないが、S級やA級にはない、B級風景の中にこそ本当に安らげる要素があったりする。S級やA級風景は、山岳などの自然や寺社などの歴史的なもので、日常ではなく、身近でもない。しかし、B級風景はすぐ近くにある。そして、それらが人それぞれによって、A級にも、S級にもなるのだ・・・・・

帰り際、閉館前にもう一度来ますと、K上さんに言った。K上さんは、どうぞ、またいらしてください。それと、市に何か提案してあげてくださいよと答えた。K上さんのご自宅は、駐車場の目の前。孫を遊ばせながらでも、できるんですから・・・ 最後にK上さんの笑顔を初めて見ることできて、何だかホッとした。

秋の気配も少しずつ深まっていくし、提案もアタマの中でうごめいている。そろそろ、また行ってこなくてはならないのだ・・・・・・・

  

 

 

 

 

 ※実は、ここでの思いは、後にある寺で、たまたま活かされた・・・・・


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