学生祭典 京都が熱いのは、京都だからだ


 

10月の連休は京都にいた。主な目的は、8回目を迎えるという「京都学生祭典」を見るためだった。

そこで予想をはるかに超えた凄さにまず驚かされ、そのあと京都という街のパワーについて、しみじみと考えさせられた。

実はうちの二人の娘は、二人とも京都の大学に進学している。上は今年の春卒業したが、下は関西の学生風に言うと“三回生”で、現役だ。その下の娘、つまり戸籍上とか親との間柄的にいうところの次女が、昨年このイベントに補助スタッフとして参加した。そして、今年はさらに企画段階からも関わるなどといった図々しい役目まで担っていると聞き、では、その本番ぐらいは見てやるか的親(バカ)心で、京都までやって来たわけだ。

 次女が関わる行事は「Dream Orchestra=ドリームオーケストラ」という名で、関西の大学の有志で結成される一日限りのオーケストラが、わずか一回だけ行うコンサートを企画運営するというものだった。すでに春先から打ち合わせやミーティングなどに忙しく走り回っていた様子だったが、特に、大阪や兵庫などの京都以外の大学にも足を運び、その打ち合わせなどの緻密さは学生としては、かなりしんどいレベルに感じられた。

京都府や京都市はもちろん、京都商工会議所や関西の企業なども共催となっており、打ち合わせ時の服装もスーツ着用と決められていた。その分、時間もとられ、遅くまでのミーティングや打ち合わせに追われてアルバイトもできず、洋服なども一切買っていないということだった。本人は、痩せたことで喜んでいたが…

そういうわけで、目的としてはまず「Dream Orchestra」であったが、その会場である京都会館の臨時バス停でバスを下された瞬間から、一応兼業だがイベント屋の第六感がはたらいてしまったのだ。

この気配はなんだ…。全体の会場となっている平安神宮と岡崎公園一帯が、異様な空気に包まれている。それもまだ始まったわけではない、独特のざわめく空気とでも言おうか。イベントをやるニンゲンなら分かるだろうが、これから一斉に動き出す何かが、今その動きのためのウォーミングアップをしている雰囲気だ。

そのざわめきで、ボクはこのイベントがかなりの爆発力を持っていることを察知した。すべてを吸収していかねばなるまいなと思った。だから、次女が関係するコンサートは始めの方をちらりと聴いただけで、申し訳なく思いながら、途中から外に出た。

 平安神宮の大きな鳥居から正面の門にいたる長い「神宮道」での踊りの競演。いくつかの路上ステージで、120ほどのチームがパフォーマンスし、上位4チームが選出されるらしい。どのステージも多くのギャラリーでなかなか正面から見ることが出来ないほどだ。

 相変わらず「よさこい」が多くて興醒めではあったが、その中に面白いグループもいくつかあり、そのうちの愛知県から参加していた某グループのリーダーと親しくなった。金沢で是非パフォーマンスをと誘うと、必ず行きますので呼んでくださいと威勢のいい言葉が返ってきた。とにかく、なかなか面白いのだ。

9月に、京都駅・室町広場で、212グループが参加しジャンルのない音楽コンテストの予選が行われたが、二次予選に残った10グループが、10月9日グランプリをかけて同じ会場で競演した。そして1グループがすでにグランプリの座を獲得していた。

そして、踊りの方の決勝と、音楽のグランプリチームの演奏会が、10日の夜、なんと平安神宮の本殿前ステージで行われるとのことだった。会場の設定がすばらしい。京都ならではだ。

 イベントはもちろんそれだけではなかった。岡崎公園の野球場では、知恵と体力とを使って遊ぶ、子供たち向けのスペースがグラウンド一面に設けられていた。これは企業協賛の催しだったが、スケールが大きく、京都の女子プロ野球チームの選手たちが子供たちと野球を楽しむなど、その仕掛けも面白かった。

 

そして何と言っても凄かったのは、どこへ行っても学生たちが一生懸命に運営にあたり、例えば、立ち入り禁止のゾーンを通って近道しようとする人に厳しく相対していたり、その誘導には逆に親切丁寧に対応したりする行動そのものだった。

もちろんプログラムの運営や進行、司会その他も受け持ち、指導的立場の大人たちにも真剣に質問し、そのアドバイスにも真摯な姿勢で聞き入っている姿が印象的だった。

 野球場の奥にはさらに各大学の露店が並んでいたが、ここでもひとつの目玉があった。それはゴミの分別とリユース食器を使うことで、環境に対する負荷を減らそうという試みがされていた。学生たちは、中央に設けられたコーナーで、返却された食器を自分たちで洗い、リユースする。その精神は、「KYO-SENSEプロジェクト」というネーミングでオーソライズされた活動となっており、学生たちの間で新しいライフスタイルへの提案と位置づけされているらしい。

自主的な取り組みは強い。これは、かつて自分自身も能登のある町で経験したことだったが、言うまでもなくパワーは違っていた。

夕暮れが近づき、少し落ち着き始めた会場にフィナーレの空気が漂う───

近くのガラス張りの店でコーヒーを飲んで休憩していると、平安神宮前に長い列が出来始めていた。

 

「グランド・フィナーレ」と名付けられた、平安神宮でのクライマックスだ。

一度閉められていた門が開き、一列ずつ中に人が入っていく。すでにステージは準備が整っていて、境内がいっぱいになった頃にいよいよスタートした。知事も市長も、この学生イベントのためにステージからメッセージを送る。あらためてこのイベントのパワーを感じさせる。

 オーケストラから太鼓や踊りなど、何色にも激しく変化する本殿を背景にして、パフォーマンスが盛り上がり、際立っていく。ステージは決して見やすくはないが、活気は周囲からもガンガンと伝わってきた。久しぶりに体もココロも騒いだ。濃紺の空に浮かび上がる平安神宮本殿がなんとも美しい…。

あとでしみじみ思ったが、京都の借景は“ホンモノ”だった。当たり前すぎて、今さら何言ってんだと言われるだろうが、やはり凄いと言ってしまうのだ。昼間見た、あの朱色の大鳥居や平安神宮そのものを背景にして行われた踊りのパフォーマンス。遠景的な視野の中に、パフォーマーたちや見物人たちが小さく存在する、スケールの大きさ。そのこと自体で会場そのもののスケールも感じることのできる凄さがある。そして夜、ライトアップされた歴史文化の真実味など。

そして、京都を選び、京都にやってきた学生たちのパワーが、京都の文化に活力を与えている。そのことが京都の凄さを象徴している。

 ああ、京都だなあ…と、思わず絶句。どこにも真似できない“底知れない文化”が、やはり京都にはあるのだなあ…と、また絶句。こういう街だからこそ、ある意味、学生たちも憧れるのだなあ…と、今度は絶句しながら納得した。

楽しい…。やるなあ、京都。さすがだなあ、京都…と、開き直っていきながら、最後は、トホホと情けない含み笑いなんぞをする。こんなことが金沢で出来るんかなあ…と、考えてしまう。金沢らしく、そう言って逃げるのだなあ…と、思う。

いつもそんな答えしかないのだが、京都にいる間は、考えないことにした。

実は、ボクはイベントの成功の基準がよく分からない。よく分からないというより、いつも中途半端さを感じている。

それは、主催者側にも立つし、業者側にも立つからで、両者が満足できるイベントの成功はなかなか実現しにくいのだ。ボクを支えてくれるスタッフたちの手前、あまり現実的な話はしないが、やはり小さなイベントでも、チーフ・ディレクターとかの立場になると、すべてを仕切っての勝負になったりする。その両立はかなりむずかしいのだ。

しかし、今自分に課せられているいくつかの現実的な話に当てはめていくと、自分はやはりどんどん前へと、明大ラグビー部(例えが極端だ)のように突き進むしかないのだろうとも思うのだ。

 学生たちのパワーはそのことを示している。本来、イベントは参加している人たちが喜んだり楽しんだり、もっと言えば感動したりしてくれるのが一番なのだ。だからそれをサポートできる人たち(スタッフ)がいないと成り立たない。学生たちはその意味で、とにかく頑張ってくれるのだろう。

ついでに書くと、ボクは地方の昔からある祭礼で、神輿の担ぎ手などに学生をあてにしている、あのやり方は嫌いだ。そこまでする必要はないと思っている。祭礼とイベントは違う。それをするなら、祭礼ではない、町内の運動会の時などにやるべきだ。

もうひとつ、ついでに書くと、ボクは京都から帰った翌日から東京へと出張した。そこで感じたのは、東京の果てしのない軽薄さだった。電車の中で、携帯(スマートフォン)の画面を指先で撫でているサラリーマンなどを見ていると、東京の文化は埃(ほこり)の下に埋もれてしまっているのだろうなあと思った。そして、その埃とは東京のニンゲンたちではないだろうかと思った。

 もうひとつ、ついでに書くと、京都の最後の日、久しぶりに哲学の道を歩いてきた。下鴨神社の広くて暗い参道も歩いてきた。そして、東寺の美しい仏像たちも見てきた。昨日の“動”と今日の“静”。文化のある街とは、こういう街のことを言うのだなあ…と、気持ちがすっきりしていたのだ。

さらについでに書くと、東京では帰り際、明治大学に寄り、「お茶の水ジャズ」のスタッフと軽く話すことができた。年内にゆっくり話す機会がもらえた。神田の商店街とタイアップして行われるイベント。これから金沢のある地域で考えていくことに関連して、楽しみは増えたが何となく思いは色褪せていた。

京都の学生たちの活き活きとした表情が、今もアタマから離れないのだ…


「学生祭典 京都が熱いのは、京都だからだ」への2件のフィードバック

  1. 祭典にご来場ほんとにありがとうございます!あやこさんといっしょの企画運営部に所属してたものです。わたし3年間祭典してるんですが、来場者から見る祭典がどういうものなのかを来場者からちゃんと聞いたことなく、今回このblog読ませてもらって、来場者の視点を感じさせてもらえました!祭典にくる来場者は2万人?近くいて、そのみんなが持つ印象はさまざまだと思います。そのなかでもわたしたち実行委員の思いを感じていただいたり、祭を楽しんでもらえた人がいることを知れて、ほんとにうれしいです。このような声がイベントでは裏方となり支える実行委員のご褒美です!祭典はこれからも続きますので、ぜひとも来年もお越しください。来年はわたしも来場者として、あやこさんのお父さんみたいに祭典の魅力を感じたいです!急にコメントすいません。ありがとうございました。

  2. 塩田さん、ありがとう。何事かと、びっくりして声も出なかったです・・・
    お疲れさんでした。素晴らしい祭典でしたね。うちの次女なんか何の役に立ったのか、
    とにかく春先から頑張っていたのだけは、顔の細さ加減?で分かりました。
    実は今日、金沢で「京都ブランドフォーラム」というのがあって、京都から清水焼の作家や
    日本画家の方が来ていました。ふと思ったのは、
    彼らは本当の意味の京都の凄さを分かっていないんじゃないか?と言うことです。
    京都の学生さんたちのパワーも知らないで、京都がバラバラだと言ってましたよ。
    学生さんのイベントと言うと、正直ボクも甘く見ていました。
    しかし、京都はやはり「選ばれるまち」なんですね。少し金沢も似てますが。
    だから、学生さんたちには同じ価値観があるんですよ。
    とにかく、凄い勉強になりました。目からウロコもまつ毛も目ヤニもすべて取れました。
    またこれからも頑張ってください。ありがとう。

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