金沢・中央公園で思い出したこと


金沢・片町にある「宇宙軒」で「豚バラ定食大(ご飯大盛り)」を食ってから、香林坊のホテルで開かれる「中心市街地活性化フォーラム」まで30分以上時間があったので、久々に中央公園へと足を運んだ。

特別な目的があったわけではない。何となく、宇宙軒におけるご飯の大盛りが心残りとなり、朝、大和さんの地下で青汁の試飲をして身体にいいことをしたばかりだったのにと、小さな罪悪感に心を痛めていたのだった。

せめて中央公園にでも行って、色づき始めた木々を眺めるふりをしながら、カロリーを消費させよう・・・。そう思っていた。

そういう安直な思いでやって来たのだったが、思いがけなく、あまりにも色づいた木々が美しいのにボクは驚いてしまった。

あまりにも思いがけなかったので、驚きはかすかな喜びに変った。そして、かすかな喜びは果てしない郷愁へと変化し、ボクは青春時代の自分の姿を、その郷愁の中に見つけていたのだった。

何だか、昔の堀辰雄の文章みたいな雰囲気になってきたが、大学一年の夏、ボクはこの中央公園で見た光景を原稿用紙20枚にまとめた。それは初めてのエッセイらしきもので、ハゲしく志賀直哉大先生から五木寛之御大に至るまでの大作家たちの文体を真似た一品だった。

体育会系文学青年の走りだったその頃、ボクは経営学を専攻しながら、日本文学のゼミにも顔を出していた。先生は、奈良橋・・・(下の名前が出て来ない)という名で、作曲家の山本直純を若くし、さらに髭を剃って、二日半ほど絶食したような顔をしていた。果てしないヘビースモーカーで、ゼミの間は煙草が絶えることはなかった。

夏休み前の最後の授業の時に、先生はヤニで茶に近い色になった歯をむき出しにしながら、「夏休みの間に、何でもいいから、ひとつ書いてきなさい」という意味のことを言った。もちろんボクにだけ言ったのではなく、15人ほどいた学生全員に言ったのだ。

ボクはその言葉を忘れないでいた。しかし、夏合宿が始まり、精も魂も尽き果てていく日々の中で、そんなことはどうでもよくなっていった。

そんなある日、ボクは練習で腰を悪くした。もともと中学三年のとき、野球部に在籍しながら陸上部に駆り出されていた時の疲労が溜まり、身体に無理をさせたことが原因となって右の骨盤を骨折したことがあった。それがまた腰に負担をかける原因にもなり、ボクは時々腰が異様に重くなるような症状を感じていた。

久々に感じた症状だった。しかし、一旦それを感じてしまうと、身体はどんどん硬くなっていった。というより重くなっていったという方が当たっている。その年、チームは四国で行われる全日本選手権に出場することになっていたが、その出発の一週間ほど前に、ボクは石川に帰らされた。一度身体を休めて、遠征に向かう新幹線でまた合流しろというキャプテンの指示だった。

帰省してからの日々は退屈だった。金もない。ただボクは身体を休めることもせず、街をぶらぶらしていた。文庫本一冊を綿パンの後ろポケットに入れて、中央公園へとよく行った。

芝生に寝転がって本を読む。今では考えられないかも知れないが、当時の中央公園の芝はきれいだった。たくさんの人たちが芝に腰を下ろしていた。

 ある時、仰向けになり両手で持ち上げるようにして本を読んでいると、足元にボールが飛んできた。ボクはそのボールを起き上がって投げ返したが、そのままもう一度本の方に戻る気になれずにいた。そして、身体を横向きにして、また芝の上に寝転んだのだ。

ずっと向こうに近代文学館(現四高記念館)の赤レンガの建物があった。芝も木々の葉も緑だったが、同じ緑ではなかった。

そして、ボクはその中に小さな男の子と、涼しそうなワンピースを着た母親の姿を見つけた。見つけたというより、目に入ってきたという方が合っていたが、ボクは何度も転びそうになりながら走り続けている男の子の姿を目でしっかりと追っていたのだった。

どんな動きだったのかはもう覚えていないが、ボクはその時のことを文章にした。今から思えば、エッセイというよりは超短編小説といった方がいいかもしれない。なにしろ、その中のボクは「榊純一郎」という名前を付けられていたのだ。純一郎は、どこかに脱力感を漂わせる青年だった。その純一郎が、純粋な子供の仕草と母親の動きに目を奪われ、そこから何かを感じ取る・・・・。そんな話だったのだ。その時の自分に何があったのかは分からない。

帰省している間に、ボクはそれを書き終えた。そして、夏休みが終わって、学校が始まると(といっても10月だが)、最初のゼミの時間に先生に渡した。先生は驚いたような顔をしていたが、じっくりと読ませてもらうよと、また茶に近い色の歯を見せて笑っていた。

そして、次の授業の時間、先生がボクに近づいてきて言った。「なかなか見る目を持っているよ。こういうことをしっかり見て文章にできるということが大事なんだ。どんどん書きなさい」 この言葉は今でも忘れていない。

久々に来た短い時間だったが、ボクは中央公園でのことを思い出した。どんどん書きなさいと言われた言葉は、今の自分にも当てはまっていると思った。今、ただひたすら書くことによって安らいでいられる。思ってもみなかった中央公園での時間が、そのことを納得させてくれたのだった・・・・・


“金沢・中央公園で思い出したこと” への3件の返信

  1. 人には、いろいろな場所に思い出があり、
    それが今に結び付いているんだなあ。
    そんなことを思いながら読みました。
    まだ中居さんほど生きてませんが、
    私も振り返れるいい思い出を
    いっぱい作っておこうっと・・・・

  2. 中央公園での文章は、
    スケッチをするように言葉で情景を描くという
    先生の話がヒントだったような気がする。
    もう残ってはいないが、
    今だったら、思わず赤面…といったところだろう。

  3. 「ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり」を
    読ませてもらっただけであとは何も知らないのですが、
    中居さんのものの見方や感じ方も
    このエッセイ集?から伝わってきます。
    でも私には、中居さんもかなり不思議な存在ですよ。
    第二作楽しみにしていますが、
    このエッセイがまとまっても面白いと思います。
    どんどん書きなさい、いや、書いてください。中居さん。

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