涸沢の秋の冷たい思い出


 

数年前まで、紅葉というと自然の中ばかりで見てきていた。

自然の中というのは、早い話が山の世界であって、山の世界では、単純に紅葉を見に行くというイメージとはかけ離れてしまうことも多かった。当然見に行くまでが楽ではなかったし、紅葉を見るつもりが、いきなり雪を見てしまうということにもよくなった。

初めて秋深い山に出かけたのは、北アルプスの涸沢(からさわ)だ。下界では、少し秋めいてきたかなといった時季。全面的にひたすら紅葉と黄葉の世界となっていた上高地から、言わずと知れた清流・梓川左岸の道を詰め、横尾の分岐点で橋を渡り本格的な登りの道に入っていく。

天候はすでに小雨状態だった。気温は完璧に10度を下回っている。この季節の、こんな日になぜ山に入ったのかと問われても、弱冠25歳半ほどの若者には特に理由など見つけられない。ただ、とにかく行きたかったから来た…と言うしかなかった。

樹林帯の登りに入ると、雨はしっかりとした降り方になった。歩いている分、身体は辛うじて暖かいが、気分はかなり落ち込んでいる。

まだまだ“ニンゲン”が出来ていない(今もさほど変わってないが)から、雨を降らせている雲上の神様かなんかを恨んでいるのだ。それと天気予報のオジサンなんかにも、「昨日の夜、明日は晴れるよと軽く言ってくれてたら、雲たちも、ああそうなんかなあ?と、勘違いして晴らしてくれたかも知れんのによォ…」と、怒(いか)ったりしている。

上高地から歩いて約5時間弱。ほとんど休憩なしで、穂高の登山基地である、初冬の涸沢に着く。写真で見るようなとてつもなく美しい紅葉風景は全く見えない。ガス状になった雲がすぐ手の届きそうなところから、山肌を経て空へと繋がっているだけだ。

濡れた石段の道を登り詰め、2軒ある山小屋のひとつ、涸沢ヒュッテに入った。ほとんど登山客のいない、当たり前といえば当たり前の静けさだった。

玄関に入り、リュックを置き、白い息を吐きながら、上りに腰掛ける。スタッフが出てきて、「こんにちは」と山の定番的あいさつを済ませた。雨宿りと休ませてもらうのだから、何か頼もうと思ったが、咄嗟(とっさ)に何も出てこない。思わず、“ビール”と言ってしまった。

こういう時は、何もかもが歯車の狂った状態になる。ボクの悪い癖?だった。

なんで、選(よ)りにも選ってビールなんか頼んだのだろうと、悔やむ。身体が冷え始め、一気に体温が下がっていくのが分かる状態だった。

さらに追い打ちをかけるような出来事が起きた。コンロでお湯を沸かし、インスタントのスープでも飲もうと思っていたのに、リュックの中にコンロのボンベが入っていない。ワンデイ、つまり日帰りの軽装備だから、リュックの中身はすぐに確認できた。

その日のランチのメインは、恥ずかしながら“ケンタッキー・フライド・チキン”だった。それも前の晩に金沢で買っておいたもので、当然ながら、冷えに冷え切っていた。

山に出かけるようになってからは、先に言っておくと、よく母が握り飯を作ってくれた。おかずはほとんど自炊のラーメンだったから、握り飯があれば十分で、前の晩に作ってくれるものでも、ほのぼのとした“味”を感じた。玉子焼きでも付いていたりすると、“母を訪ねて三千里”にほぼ近い、二千八百八十里ほどの愛なども感じとった。

しかし、今回は違った。前の晩、もう寝る頃になって「明日、山行く」と言っただけだった。どこの山へ行くかとかは、その頃は告げていなかったが、親も聞いてはこなかった。

ビールを仰ぐようにして喉に流し込むと、ボクはチキンを無造作に頬張った。味覚的なものは何も感じない。感じるのはその冷たさだけだ。

今度スタッフが近づいて来たら、コーヒーを頼もう。ボクはそう思い、そうなる時を密かに待つことにした。しかし、スタッフはなぜか忙しそうに動き回っていて、ボクの気持ちなど察してくれそうになかった。

ビールのせいで頬っぺただけが異様に熱い。寒さに震える傷心の青年が、独り山小屋の玄関で苦悩している…。しかし、たぶん間抜けな、ほんのり赤っぽい顔をしたボクの表情からは、そんなことなどカケラも感じ取れなかっただろう。

30分足らずで、ボクはまた外に出た。

涸沢は、前穂高岳、奥穂高岳、北穂高岳という、日本を代表する3000m級の山々に囲まれた、すり鉢状の場所だ。かなりの角度で見上げながら見回すと、ダイナミックな山岳景観が楽しめる。夏でもかなりの雪が残り、山の魅力的な要素がすべて存在する。

しかし、それは晴れている時の話で、今は自分の目線の少し上部あたりまでしか視界はない。奥穂高と北穂高の間にある、涸沢槍と呼ばれる峻険な岩峰(涸沢岳)も、当然だが見えてこない。

腕を組み、しばらく雨とガスの中に佇(たたず)んでいると、雨が霙(みぞれ)に変わってきた。そして、さらにしばらくすると、霙が明解な霰(あられ)になり、湿った雪にも変わっていく。

そろそろ下るか…。簡単に気持ちは決まった。長居する意味もない。新米の若造がいい加減な装備で、恐れ多くも涸沢へと来たのだから、こんなもんだろうと腹を括(くく)る。

湿った雪が激しく重く降り始めていた。涸沢の名物と言われるナナカマドの赤い実が、降り積もった雪の重みにじっと耐えている。

登山道の石の表面が滑り始める。いい加減にそろそろ手袋を出そうかと思ったが、リュックを下したりするのが面倒臭く、なかなか踏ん切りがつかない。

その時、ふと思い出した。ボンベはクルマの後部座席の紙袋の中だ。前の晩、忘れてはいけないと思ったボンベを、先にクルマに積んでおいたのだ。それなのに……

ボクは木の陰でリュックを下し、中から手袋を出して手にはめた。暖かいとは感じなかったが、冷たさが消えた感じがした。

上高地に戻ると、小雨は上っていた。身体が感じる気温も、はるかに高くなっていた。横尾から1時間半弱で明神(みょうじん)まで来ると、もう身体はポカポカになり、明神まで来る前に手袋を外した。

薄暗くなり始めた上高地だったが、そんな中で見る紅葉と黄葉の木々が美しい。河原の石も、やけに明るい色に見える。

のんびりと山に相対する…そんなことなどまだまだ出来もしないくせに、ボクはなぜか、いっぱしのヤマ屋になった気分だった。

それから何年かが過ぎた夏、“やらねばなるまい”的心情でもって、涸沢から奥穂高の頂上に立った。それ以前も、それから以降も、ずっと続けていく単独行で、なぜだか、ひたすら自分を苦しめていた時だった。

あれから先、未だに涸沢の紅葉は生(ナマ)で見ていないが、そのうち、見に行くことになるだろうと、秘かに思っている……


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