秋の五箇山で思ったこと


これまでの秋の話は、なんだか雨や嵐のことが多くて、もう言うことなし的に晴れ渡った正しい秋空など縁がないのかと思われているかも知れない。当然全くそんなことはないわけで、秋の青空もいつも味方に付いてくれているのは言うまでもない。

身近な秋の風情となると、ボクの頭の中にはすぐ五箇山あたりが浮かんできて、すぐに足が向いてしまう。この前も素早く出かけた。別に秋に限ったことではなく、四季それぞれに出かけたりしている。

特にこの地方での春の始まりの頃は、田植え直前の水田に、輝きを増し始めた太陽の光が注ぎ込んだりして、その美しさはまさに世界遺産そのものといった上品さだ。もちろん秋もいい。

 ボクにとって五箇山は、今は亡き司馬遼太郎大先生の歴史紀行・『街道をゆく』によって開かれたところだ。今から何年前になるだろうか。週刊朝日に連載され、その後単行本化されていった。週刊朝日に接するようになったのは、YORKに置いてあったからで、マスターの奥井さんもよく読んでいた。その後文庫にもなって話題を巻いたが、単行本の方をボクは数冊持っていたのだ。

外国へ行ったり、都会へ行ったりするよりも、もっともっと日本的で、歴史を感じたり、人を感じたり、自然や暮らしを感じたりする旅が好きだったボクにとって、この本はちょっと旅に出るかな的モチベーションを高める最高のシリーズだった。

第何巻だったかは忘れた。五箇山については、かつての上平村(現在南砺市)赤尾という地区にある浄土真宗の行徳寺(こうとくじ)という寺周辺の話が印象的だった。

その本は多分今、実家の納屋の段ボールの中で眠っていると思う。今確認することは不可能だが、行徳寺を開いた道宗(どうしゅう)さんという僧の話に、自分でも不思議なくらいに興味を持った。

道宗さんというのは、妙好人(みょうこうにん)といって、普通の世俗の人だが、信心が篤くお坊さんになったという、とにかく偉い人だった。なぜその話に深く興味をもったかは、いずれどこかで書くとして、とにかくボクは行徳寺へ行こうと思った。そして、その週末だったか、さっそくクルマを走らせていたのだ。

当時は東海北陸自動車などない。福光から城端を通って山越えし、平村から上平村へと入る。庄川沿いの国道156号線。相倉(あいのくら)集落や村上家などを過ぎ、さらに菅沼集落も過ぎてしばらく行ったところに行徳寺があった。

合掌造りの見学ができる家として人気のある岩瀬家の隣なのだが、象徴的なのは、茅葺(かやぶ)きの山門だ。意識的にそれを目当てにして走っていたが、やはり岩瀬家の隣という方が効き目大だった。

行徳寺は、言わば何の変哲もない寺だ。今では小ぎれいになってはいるが、当時は本当に素朴な印象で、茅葺きの山門が、“静かに佇(たたず)めよ”と言っているだけのように感じた。今は、観光の寺ではないから…といった、直接的なメッセージが書かれた看板すら出ている。

寺の前に、どこにでもあるような小さな食堂があった(…今もあるが)。実は、司馬先生は、そこで「熊肉うどん」を食べていた。メニューのタイトルが正式に「熊肉うどん」であったかは忘れたが、とにかく熊の肉が入ったうどんを食べたと書いていた。

尊敬する司馬先生が食べた「熊肉うどん」を、自分も食べるというのは必然的な行為だった。が、生まれて初めて口にした熊肉は、とにかくひたすら硬かった。うどんの柔らかい歯応えに比べて、その硬さはかなりの面倒臭さを感じさせた。うどんがほとんどズルズルと口の奥に運ばれ、二度三度モグモグとすれば喉を通り過ぎていくのに対し、熊肉は箸につまんで口に運んでから、うどんの三十倍ほど噛みこんで喉の方へと送らねばならなかった。

熊肉をとにかくひたすら噛み続けていると、アタマがボーっとしてくる。なにしろ行徳寺の門前だ。無の心境に近づいていく…?

・・・・その年の冬のある出来事が蘇(よみがえ)ってきた。それは金沢市と富山の福光町との境にある医王山に、雪深い2月に登った時のことで、降り積もった腰あたりまでの深雪をかき分けながら、ボクたちは冬山気分に浸っていた。一緒にいた相棒はS。二人とも体力だけには自信があり、ただ無邪気に雪をかき分け登っていた。

そろそろ最後の急な登りに入ろうかという時だった。上からガッチリとした体格のいい男の人が下りてきた。雪面を背にして下りてくるから、顔はほとんど見えない。ただ帽子も被ってなくて、アタマが“スキンヘッド状態”であることだけは、その光り具合ですぐに分かった。雪の反射光の加減で真っ黒だと思っていた顔は、近くで見ても黒かった。

その人はアタマの状況が示すとおり、自分たちよりもかなり年配であった。「若いのに偉いのォ」と、汗で顔を黒光りさせながら、開口一番言った。なんて答えていいか分からないでいると、指さしながら「あの峰まで行く気はないかのォ」とも言った。Sと顔を見合わせた。

その人の話では、奥医王から横谷だったかの稜線の雪の中に熊を埋めてあり、それを運びたいだったか、解体するんだったか、とにかく一緒に手伝ってくれないかということだった。

Sが彼独特の薄ら笑いを浮かべながら、ボクの顔を見ていた。それが何を意味しているのかちょっと考えたが、ボクもすぐにSのような薄ら笑いを浮かべ、「ボクら、今日は白兀(しらはげ)の頂上まで行ってくるだけなんで…」と語尾を濁しながら答えた。白兀山とは、医王山の手前にあるピークだ(戸室山の奥にあり、積雪期には木が生えてないので、そこだけ白く見える)。

熊肉の話から大いに外れていったが、この話は印象深くボクの記憶に残っていた。今でも覚えているくらいだから、司馬先生の真似をして熊肉うどんを口にしたときには、かなり鮮明な記憶として蘇っていたことだろうと思う。

特にこれといった感慨もないまま、「熊肉うどん」を食べ終えると、ボクはデイパックの中から、徐(おもむろ)に『街道をゆく』を取り出していた。実際にその地を訪れ、しばらく自分自身の感覚でその地を確認した後、その部分を読み返すのが楽しみだったのだ。

 五箇山の秋は相変わらずのどかで、静かで、意識すればするほど安らいだ気分になれた。五箇山であることを自分に言い聞かせながら歩くのがいいのだ。人がいても、人を背にすれば、自分が一人になったような気分にもなれる。特に秋は、訪れている人たちが皆同じ思いでいるような錯覚にも陥ったりして安心できたりするのだ。

昼飯は、熊肉うどんではなく、今秘かに?大人気の「いわな寿し」を食べて、いざ次の目的地へと・・・・・その2へとつづく。

 

 


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