八重洲で、もの想い・・・


八重洲にある某巨大ビルの一階に、シンプルな木調の内装と大きなガラス張りが特徴の、日当たりのいいコーヒー屋さんがある。コーヒーが特に気に入っているわけではないが、何気にその店の雰囲気が好きになり、出張帰りの新幹線待ちの時間に30分ほど余裕を持たせて入ったりする。

一月のアタマ、相変わらず冬の太平洋側らしい晴れの日、工事中の東京駅周辺をぼんやり眺めていると、歩道のあたりで写真の撮影をしている一団が目に入った。撮影されているのは、ロックバンドのメンバーのような連中だ。分かる人には分かるのだろうが、こっちは分かるはずもない。しばらく見ていると、連中は歩道に座ったり、カメラに向かって決めポーズをとったりして、かなり悪乗り的な雰囲気になってきた。見ている方が恥ずかしくなってきたが、彼らには彼らなりの思いやらスタンスがあるのだろうとも思い、それからは敢えて見ないようにしていた。

・・・・・話は一気に飛ぶが、初めて北アルプスの穂高に登った時、単独行のボクは缶詰め状態になった涸沢ヒュッテの小屋の中で妙に落ち着かないでいた。夕食が終わり宿泊部屋に集まると、山小屋のスタッフが、一人ひとり名前を呼び、寝る順番と言うか、位置を示していく。畳一枚に三人が寝るという、夏山ピーク時にはよくある光景だが、ボクの名前だけが呼ばれなかった。

「まだ名前呼ばれてない方いらっしゃいますか?」 ハイと手を上げると、当然、名前を聞かれた。しかし、「ナニさんですか?」と聞かれたので、思わず「ナカイさんです」と答えてしまった。アッと言う間に首から上が熱くなり、その場のシラッとした空気のすべてが自分のせいだという思い込みと、恥ずかしさに潰されそうになった。

“ホントは、こんなこと言うオトコじゃないんですよ、皆さん” ボクは必死にその場の空気を入れ替えようとしたのだったが、すでに遅かった。スタッフは事務的にボクの位置を決め、では皆さんよろしくお願いしまあすと言って去って行った。

ボクは結局、自己嫌悪と人いきれの熱気の中で眠りにつけなくなり、12時頃には山小屋を出て、1時には冷え込んだ外の岩の上でコーヒーを沸かし、携帯食のリッツを出して、それまでの生涯で最も早目の朝食にした。この自己記録はもちろん今でも破られていない。そして雨具などを着込み、岩に寄りかかって仮眠して、3時半にはザイテングラートと呼ばれる急峻な登山道に向けて歩き始めていた。二泊三日コースを家からの往復時間も含めて一泊二日でやっつけようという、当時のボクとしては、当たり前の真ん中のちょっと横といった感じの山行スケジュールだったのだ。当然のごとく、かなりしんどい思いをしていた。

今でも、あの「ナカイさんです」は痛恨の極みだ。野球には痛恨の一球というのがあるが、痛恨の一言というのはああいうことを言うのだろうと思う。旅の恥はかき捨てとも言われる。しかし、あの時の状況は、そのまま皆さんと一緒に寝ることを許さなかったのだ。

話は相変わらず寄り道だらけになったが、八重洲の連中を見ていた時に、ボクはそんなことを思い出していた。もちろんそうしたくもなかったのだが、そうなってしまった。何が共通していたのだろうか。あの連中のはしゃぎ方が、ボクの「ナカイさんです」にどう繋がっていたのだろうか。少なくとも、ボクが両者を同類項にしていたのは間違いなかった。

ボクは、はしゃぐのは得意ではない。“ボケ”は得意だが、根本的にはしゃぐのは不得手だ。別な言い方をすれば、自分をしっかり出すというやり方しかできない。たとえば最近流行りのネット社会における匿名文化みたいなものにも、どうも感覚的についていけない。名前や素性を隠して、意見を述べたりするのは性に合わないし、そういう言葉を、じっくり読もうという気持ちもボクには起きない。もちろんTPO に応じての使い分けは理解できているが。

言葉は、その人の素性などが背後にあってこそ生きたものになるのではないか。写真や絵画、音楽や文学、さらにスポーツ……たとえば、アジア杯決勝で素晴らしいゴールを決めた日本代表の李忠成。まだ若いながら在日から帰化の道を選んだ彼のこれまでの生き方を知ることで、余計にあの一本のシュートの重みを感じ取れるのではないか。涙を流して喜んだという彼の母親の思いもまた分かるのではないか。彼の放ったあのボレーシュートもまた、彼の言葉だったのだ。そう考えるから、言葉はその人の素性や根本的な考え方に裏付けされているものなのだと思える。

むずかしく考える必要はないだろうが、ふと目にしたなんでもない出来事から、自分自身の思いの一端をあらためて考えさせられたような気がした。

2月のアタマにも、ボクはまた、あのガラス張りのコーヒー屋さんで、短いながらも、ゆったりとした温もりの時間を一冊の本と共に過ごしていた。他にも客はたくさんいたが、それぞれがそれぞれの空間を大切にしているように見えた。

窓の外には、速足で歩いていくビジネスマンや、楽しそうに笑いながら歩いていくご婦人たちの姿が見えていた。

ボクはひたすらのんびり構えようとしていた。歳を食っても、自分流の考え方や感じ方の中に、まだまだ整理のつかないことがあるのだということを、ほんのちょっとだけだが、また考えていた。そんなもんだろう・・・・・・・


「八重洲で、もの想い・・・」への2件のフィードバック

  1. 新しくなってから、ちょっといい感じですね。
    言葉の大切さとか、やはりナカイサンらしい。
    この話、三度読み返しました。
    こういう話から、感じ取ることって、
    結構いいんです。好きなんです。
    それだけなんですけど。

  2. リニューアル、グランドオープンおめでとうございます。
    新しい雰囲気になって、コメント入れたかったんですが、
    何となく、一番というのがいやで…
    それに、最初の初夢の話、ちょっとコメントしにくかったです。
    でも、リニューアルして、僕もいい感じだと思います。
    内容も濃くなってきて、「中居サン的ワールド」が
    より明確になってますね。
    これからも期待しています。

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