旧宮崎村の空と風景


 土曜日の夜、ふと思い立ち、“明日、福井の越前町へ行くかな”ということになった。ふと思い立ってというのは、正確に言うと嘘で、数日前から、思っていたことでもあった。だが、本気でそう思ったのは、間違いなく土曜の夜だったのだ。

 越前町と言っても、ボクの中では、“旧宮崎村”という方がぴったりくる。今から何年前だろうか、陶芸が盛んで、そのデザインを村づくりのシンボルにしている宮崎村へと出かけたのは… 記憶はまったく定かではないが、とにかく山里深く入って行ったのを覚えていた。越前町は、平成17年、宮崎村を含む4町村が合併してできた町なのだ。

 北陸自動車道・鯖江インターからクルマで30分。天候は煮え切らない、この先あまり多くを望んではいけないような曇り空。ところどころに、思い切りの悪い雲の切れ間はあるが、思い切りが悪いだけに、陽光など見えてこない。しかし、まあ、仕方ないかとクルマを走らせていると、そのうち、少しずつ前方が明るくなってきた。目指す方向に、思い切りのいい雲の切れ間… というより、カンペキに開き直ったような青空が見えてきた。視界が広がり、気分も冴えてくる。

 “ここは越前町なのです”というレンガ造りのサインが立っている。これはボクが昔見たものと同じはずだが、時間が経っているにも関わらず、とても綺麗だ。ということは、昔見たものと違うのかも知れない?そんなことを思っている間に、クルマは見覚えのある、大木が並んだ場所へとさしかかった。道路の真ん中に立つ二本の木。まっすぐに伸びた凛々しい高木(こうぼく)が迎えてくれる。

 曖昧(あいまい)だが、記憶がわずかに甦(よみがえ)ってきた。わざとらしいと自覚しつつ、おおっと声を出す。逆光の空を背景にして、二本の木のシルエットが眩しい。写真を撮りたいと思ったが、咄嗟(とっさ)のことでそのまま通過。どちらにせよ、クルマを停める場所がなかった。撮影は帰り道だ、と自分を納得させる。

 山間(やまあい)の道を、くねくねと緩やかに曲がりながら、そして緩やかに上下しながら走って行く。少しずつゆっくりと高度は上がっているのだろう。ところどころに、焼き物の町らしいレンガ風の建物が散在する。大きな公共の施設はもちろんのこと、バス停などの小さな建物もそれらしく整えられている。たまに木造のほんとに小さな建物があるが、それはゴミの集積場所かなと、勝手に想像。

 小高い山並みは、当たり前のように新緑であふれており、道沿いに植えられた色とりどりの花々も、かなり普通にやさしく、そして美しかった。

 道なりに進む… そして、かなり奥に入り込んだあたりで、越前陶芸村の入り口へと向かう道を左に折れる。「陶芸まつり」が開催中の村への道は大混雑していた。のろのろ走りながら、かなり離れた、田んぼの中の空き地に作られた駐車場にクルマを入れた。

 天候は空の半分ほどで晴れと曇りに分かれている。こういうのを気象予報士はなんて言うのだろう。晴れたり曇ったりでもなく、晴れ時々曇りでもない。今日の天気は、右を見たら晴れ、左を見たら曇りでしょう…… なんて言うのだろうか、そんなはずない。向きによっては、右が曇りで、左が晴れの人もいるから。まじめに考えてしまった……

 水田に囲まれたまっすぐな道を歩く。陶芸まつりの会場はテントでいっぱいだった。かなり本格的なイベントなのだ。ひととおり歩いてまわり、マグカップを一個購入。越前焼どころか、九谷焼にもそれほど関心のないボクだが、それなりに個性的な作品を目にしていると、自分自身でも時折手に取ったり、作家さんに声をかけたりする。作家さんの個性がどういうものかの方に、ボクの関心は高まってしまう。そして、サイクルが合っていたりすると、ボクはすごく嬉しくなる。その経過の中で、マグカップ購入のモチベーションも高まったのだ。タケノコごはん弁当一個500円也で、それなりに腹ごしらえ。それからまた会場の外れまでブラブラし、そしてクルマへと戻る。

 空は、いつの間にか半々から七・三で晴れが有利になっていて、体中がホカホカ状態であることを、しっかりと自覚した。

 ゆったりと戻りの道へ。集落の家々が、しみじみと目に焼き付けられていく。緑の木立を背景にして建ち並ぶ土蔵の美しい白壁が印象的だ。このあたりの家々は、昔から土蔵を持っていたのだろう。今は塗り替えられた明るい白が眩しい。畑にいた老人に話しかけると、土蔵には、かつて米が入れられてたんですと答えてくれた。穏やかな、温かい話し方をする老人だった。

 “もうずっと前になりますが、かつてこの村に来たことがありまして、その時のことを思い出そうとしてたんですが、なかなか決め手がないんですよ”ボクがそう言うと、老人は、“もともと、何もない村ですから”と答えて笑った。

 ふと思い出したのは、季節感だった。あの時は、紅葉の終わりの、これから冬に向かおうという時季だったことを思い出した。寒々としていて、どこかの公園みたいなところで、ドングリの実を拾っていたことが甦(よみがえ)ってきた。そうか…ボクはあまりにも今と違う風景の中にいたんだな。

 思い切り空を見上げた。自分の好きな季節がやって来ようとしている。そんな思いが瞬間的にアタマの中を通り過ぎて行った。

 なんだか変だなア~と思いながら、そんなことを感じさせてくれた、旧宮崎村の空と、旧宮崎村の風景とを、あらためて見回していたのだった……


“旧宮崎村の空と風景” への1件の返信

  1. まさに小さな旅だなあ。ちょっと福井だと遠いかなあ。
    でも、いろいろな土地に思い出があるというのは、いいことだね。
    うらやましい。
    なんでもない風景っぽく見えてても、
    その人によって、全然ちがうものに見えてくるんだよね。
    明日どっか行こうっと。

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