ストーブ当番の思い出


夢の中で誰かにハゲしくブン殴られた。夢の中だが、頬の骨に拳が当たって、顔全体が瞬間的にネジ曲がったような気がした。そして、その痛み(のようなもの)がしばらく感覚の中に残っていた。

その朝、ボクは通勤のクルマの中で、中学の頃の、「ストーブ当番」の日の出来事を思い出していたのだ………

ストーブ当番というのは、別名、石炭当番ともいった。石炭ストーブが当たり前だったボクたちの時代には、毎日二名ずつが当番にあてられていた。

役割はというと、石炭が置かれている倉庫のようなところから一日に何回か石炭を運び、ストーブの状況を見ながら、その石炭を補充することだった。もちろん授業が終わった後の灰の始末もあった。それとバケツに消火用の水を入れておくことも重要な仕事だった。

ちょうどその時は、バケツにわずかに石炭が残っているだけで、次の休み時間には石炭を補充に行かなければならないという状況にあった。そして、そのわずかに残っている石炭が無性に邪魔に感じられていた。

しかし、ボクはストーブの中がいっぱいなのを確認して、面倒くさいと思いつつも、その残りをそのままにしておくことにしていたのだ。

ところが、当番のもう一人の相棒というのは、短絡的というかいい加減というか、ついでに言うと、とにかく音痴で、しかも足が臭くて、当然女の子にもモテるわけもなく、その上に牛乳ビン底型レンズ付きメガネなどまでかけているといった、個人的には好きでも、ストーブ当番の相棒としては問題の多いヤツだった。

ボクが石炭バケツをそのままにしていた理由に気が付かず、単に、バケツを空にするということだけしか考えられない…魚で言えばアンコウみたいな、ただひたすらウスラボンヤリとしているだけのヤツだったのだ(、それくらいイイやつでもあった……)。

彼は、その休み時間の終了間際、余計なお世話にも関わらず、ストーブ当番としての責務に気付いてしまった。ボクにしては、ちょっとした油断、彼にすれば、自分も当番なのだという参加意識のようなものだったのだろう。

ボクは彼が石炭の残りをストーブの中に放り込んだという事実を知らないまま、次の授業を迎えることになったのである。

次の授業は社会だった。しかも運悪くというか、ボクが所属していた野球部の顧問のO野先生が担当の授業だった。

授業が始まってしばらくは平穏無事な時間が過ぎた。しかし、それも束の間……。

いつしか教室には石炭独特の黒い煙が立ち込み始め、教室の至る所からゴホンゴホン、あるいはエホンオホン、はてまたアハンウフンといった咳やうめき声などが聞こえるようになっていった。

先生が教室内の異変に気付くまでには、さほどの時間を要しなかった。

立ち上る黒煙は、単にストーブの石炭投入口からという生易しい段階をはるかに越え、煙突のつなぎ目などからもハゲしく吹き出ていた。

教室の天井付近に黒い煙が怪しくうごめいていくと、皆の目がその方向へと移り、不安や恐怖の表情が色濃く見えてくるのだった。とにもかくにも尋常ではない段階に入っていたのだ。

はじめは、ボクもその光景をいたって冷静に見ていた。というのも、ボクにはいくらストーブ当番という役目があったにせよ、今起こっている事態には当番としての責任はないと思っていたのだ。

しかし、情勢はボクを平穏に守ってくれる段階をすでに過ぎており、ボク自身にもそのことはヒシヒシと伝わってきていた。そして、表面的には冷静を装っていたが、すでにかなり動揺もし始めていた。

「当番は、いったいどいつだッ!」

先生の吐き捨てるような声が、ついに教室中に響き渡った。突き出た下唇が、荒い息づかいと一緒のリズムで揺れていた。

右手に持った石炭を汲むミニスコップ(シャベルというべきか)が小刻みに震え、それがあてがわれた投入口から、ボクには覚えのない石炭がガラガラと取り出されていく。

O野先生というのは、体重が九十キロ、いや百キロはあるかも知れない巨漢だった。そんなバカでかい体を、ホンダカブに無理やり乗せて通勤していた。

ホンダカブに乗っていたわりには、質実剛健を絵に描いたようなタイプであり、狭い額の上で、オールバックにされたテカテカの太い黒髪と、黒ブチ眼鏡(敢えて漢字にしている)が威嚇的で、丸みを帯びた下唇を突き出しながら独特な叱り方をした。

ボクは野球部員であり、先生とは毎日グラウンドで接していたから、先生が今どういう精神状態でいるかぐらいすぐに解った。

覚悟を決めて立ち上がった。相棒も立ち上がっていた。

「こんだけ石炭入れりゃ、どうなるかぐらい解るやろがァ、アホッ! 前へ出ろッ」

前へ出ろが何を意味するのか、当然解っている。もはやジタバタできる状況でもなく、すでに次の指令までもが予測できた。

「そこに立てッ」ボクと相棒はストーブの横に突っ立ち、ボクは意識的に顔を上の方に向けて、先生を見た。

「歯を食いしばれッ」待ってましたと、半ばヤケクソ気味に頭の中でつぶやく。先生の殴る時の決まり文句だったのだ。

ビシッ、ベタン。それからすぐだった。ボクの頬は一瞬のうちに熱を帯びた。身体もでかいが、当然手もでかい。体がでかい分、パワーも凄い。

最初に左の頬にマヌケなくらいの衝撃が走り、そのすぐ後に右の頬が大きく窪んだ気がした。顔がネジ曲がったかのようだった。

この哀れな出来事は、いつもこの季節になると思いだす。先生は、元気だろうか………

◆この文章は、ヒトビト第5号「編集長 冬の思い出を語る…『ストーブ当番の思い出』」に、ちょこっとだけ加筆したものです。


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