動橋川 冬の朝


滅多にない機会が突然訪れるというのはいいことだ。しかも、思い描くことすらなかった機会となるとワクワクする…。

二月も後半に入ろうかという好天の朝、ボクは野暮用で小松の某温泉地にいた。満月に近い美形の月が、まだ完全な明るさには至っていない空に堂々と浮かんでいた。好天であり、大気は冷え込んでいる。

早く出たせいもあって用事までには四十分ほど時間があった。その時、ふと思い立つ。近くに法皇山古墳跡がある…と。前にも書いたが、その辺りはボクにとって“いい気分になれる場所”のひとつである。しかも、冬の晴れた朝などという条件は、それこそが“滅多にない機会”そのものだった。

こういうことは、とにかくすぐに行動に移すのがいい。道はすぐに加賀市へと入り、左手奥に小高い山並みを見ながら進む。程なく見慣れた町の風景となって、すぐに法皇山古墳跡の駐車場へとクルマを乗り入れる。資料館はまだ冬季閉鎖中。駐車場にはボク以外のクルマはない。バッグの中のカメラの存在を確認したが、なかった。

ハーフコートを着込み、動橋(いぶりばし)川に架かる橋まで歩いた。ちょっと下流側の堤に入って、朝霞の中の白山やその周辺の山並み、それから川の流れに目をやる。相変わらずの水の美しさに安堵したりしながら、もう一度山並みに目を戻すと、山の霞み具合が余計に濃くなったような錯覚に陥る。

今、橋の上流の方、右岸の堤にはきれいな道が作られている。去年の終わり頃に来た時、何だか工事が始まりそうだなと感じていたのだが、今回来てみて、すでに堤の上が道らしくなっていることを確認できた。ここに道が出来れば、その奥にある洞窟のような場所まで、気持ちよく行けるようになる。これまではあまり気持ちよくは行けなかった。靴やズボンの裾がかなり汚れた。

この洞窟のような場所というのは、実に神秘的…とまではいかないが、少なくとも予備知識がない身としては、興味津々といった心境になれる場所だ。法皇山という歴史的な匂いが漂うこともあり、来た人の目を楽しませるだけでなく、好奇心などをそそるものになるだろう。ただ、ボクとしては、この整備がきっかけとなって、自分だけ(?)の世界が失われていくことになるかも知れないことに危惧もしている。ちょっと大袈裟だが……。

橋を渡り、川の左岸を上流方向へと向けて歩く。法皇山の低いながらも急な山肌を左手に見ながら、道は川沿いを右の方へとゆっくり曲がっていく。もちろん川が曲がっているから道が曲がっているのであり、低い山並みが曲がっているから川も曲がっている。

道沿いには桜の木が植えられている。当然、今は裸木状態だ。朝靄の中、その立ち方がいいなあと納得したりする。春先には思わず赤面したくなるくらいの花を咲かせるのだろうが、そういう頃にはあまり来たくはない。桜そのもので、この場所を評価したくないといった、いつもの我が儘だ。

それにしても川の流れがとてつもなく美しい。川面からはかすかに湯気も上がっている。空気がきっちりと冷えている証拠だ。農道のような(なのかもしれない)道の脇にある草むらには霜が降りていて、それに朝日が当たった光景も美しい。

この道はどこまで続いているのか知らないが、いつか完全踏破してみたい道だなあ…とあらためて思ったりしている。なにしろ、もう二十年以上も前から知っている風景なのだ。

それにしても、後半とはいえ、まだ二月なのに春の匂いがプンプンしてくる。山里でも木立の深い場所ではまだ深い残雪があるが、水田地帯では雪解けが進み、顔を出してきた水面が春の光を浴びたかのように輝いていたりする。毎年同じようなことを言っているが、やはりもう少し冬でいていいのではないかと思う。ついこの前まで、雪すかしは大変だとかという話題で盛り上がって(?)いたのに、ちょっと性急すぎる。もう一回ぐらい、雪すかししてやってもいいよと言いたくもなる。そういえば去年の今頃、誰かから“道沿いの雪が眩しいです”という内容のメールをもらったことを思い出した。山里を走る道沿いの雪が、まだまだしっかりと存在している光景こそ、今どきの正しい風景なのだと思う。

クルマに戻って、また元の道を引き返すことにした。橋の上からもう一度川の中を見下ろし、魚でもいないかと目を凝らしてみるが、動くものは何も見えない。夏だったら団体行動で泳ぎまくっている魚たちも、冬の冷たい水の中でじっとしているのだろうか。猫も炬燵で丸くなるように、魚たちもそうなのだろう…と、どうでもいいことを考えたりした。

クルマの中からだが、少しずつ白山の姿が見え始めている。霞の中に光を受けた雪面だけが浮かび上がり、なかなか幻想的だ。いくつかの自分なりのビューポイントを持っているが、そこを通るたびに目をやっている。

ニコンもコンタックスも持ち合わせていなくて、携帯電話のカメラしか使えないことを激しく後悔した。最近ちょっと写真の手抜きがはなはだしい。もっと執拗にカメラを持ち出さねば。

こんな滅多にない機会をもらったのに…と、自分を叱りつつ、もう一度動橋川沿いの道に思いを馳せたりしているのだった……


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