むなしき誕生日の目論みであった
別に待っていたわけではないが、先日、五十七回目の誕生日が来た。
数日前から来ることは知っていて、その日は残雪深き立山の雪原にテレマークスキーを履いて立ち、そこでノンアルコール・ビアーでも飲みながら、しみじみとこれまでの人生を振り返り、さらに、これからの人生における正しい(余生の)過ごし方などについても考えてみようかな…と、目論んでいた。
週間天気予報の晴れマークを見ながら、“晴れマーク 心もはずみ テレマーク”と、我ながらなかなかいいキャッチコピー的一句も浮かんだ。モチベーションは日々高まっていたのだ。
ところが…だった。前日になって、ボクのこの小さな楽しみはあっさりと打ち砕かれてしまった。どうしても朝一番に会社へ顔を出さねばならない用事ができてしまったのだ。
どうするかな…と、一応考えた。結局、その用事を済ませてから早退し、そのまま立山へ一直線、ひたすらまっしぐらに向かおうと決めた。立山駅からのケーブル。美女平からのバス。昼には弥陀ヶ原に着ける…。少々甘いところもあったが、何とかなるだろうという気持ちと何とかせねばという気持ちが、手に手を取って協力し合う中、ボクはその朝とにかく会社へとやってきた。
ところが…だった(二度目だ)。こともあろうに、一旦出社してしまうと、別の用事がまたボクを待ち受けていた。
あのォ~、今日のォ~、午前中いっぱいまでにィ~、例の書類をォ~、提出してェ~、いただきたいのですがァ~
……昔、小松政夫がこんな言い回しでボケていたのを思い出す。
よく考えてみると、いやよく考えるまでもなく、誰も今日がボクの誕生日だなんて知らないのであった。ましてや、誕生日だからと会社を休んで山へと出かけ、そこでしみじみ考え事でもしようと目論んでいるなんぞ知る由もなく、ボクはごくごく当たり前の日常の中で、ごくごく当たり前に出社しているに過ぎない…と思われても仕方のない存在になっていた。
それでもボクは、午前中いっぱいとは言わず、昼の一時間くらい前、つまり十一時頃には、この例の書類とやらを片づけてやる…と心に決めていた。そうすれば、それからとにかく一直線。二時頃には、弥陀ヶ原の大雪原に立っていられると思った。
ところが…だった(三度目だ)。こともあろうに、その仕事はなかなか出口の見えない、ボクにとっては極めて緻密な対応…、具体的に言えば、数字の計算を求められる内容のものだった。
“緻密対応型数字計算”。この漢字九文字によって構成される作業は、ボクが完璧に不得手としている行為であった。もし、この世から無くなってほしいものを十項目出しなさいと言われたら、たぶんこの“緻密対応型数字計算”は確実に圏内に入れるだろうと確信をもって言えた。
ところで、この場合の“緻密対応型”とはどういうものなのかについてだが、分かりやすく言うと、エクセルの計算式をこしらえながら進めていくものを指している。なあんだ、そんなもんかァ~と、バカにしてはいけない。ボクの場合、そのような行為自体がすでに自分自身の標準仕様から外れている。
誤解のないように言っておくと、ボクは数字が苦手ではない。感覚的な数字の捉え方は子供の頃から人並み以上に優れていたと思っている。小学校五年生の時、S水T彦先生と言う風変わりな理数系の担任がいて、その先生によく算数テストというのをやらされた。
裏表にびっしりと、たし算や引き算、掛け算や割り算の素朴な問題が並べられた紙が渡され、それをエイ、ヤッ、タァーッと気合で解いていくのだ。ずっと、足したり、引いたり、掛けたりしていったら、最後にゼロで割るという意地悪な問題もあった。結構スリル満点で、楽しい?テストだったのだ。
そんなテストの時は、いつも一番か二番でボクは解答用紙を提出していた。答を間違ったこともなかった。今でも数字の並び方の形とかで何となく答えが見えてくるものがあったりするのは、その時の感覚が残っているせいなのかもしれない。
しかし、そういった算数が、高度な数学に変わっていったりすると、ボクの中にあった数字に強いという感覚は何(なん)の役にも立たなくなっていって…しまった。一旦いじけ出すと、ポテンシャル自体も希薄化していく。
「ごめん、実を言うと、ボクは、数字よりも、文字の方が好きなんだ」
そして、ついにボクは数字に対してそう告げた。もう数字のことを好きになれない…。だから、ボクのことは忘れてほしい…。こうしてボクは、数字とサヨナラをしたのだ。高校一年の夏の終わり頃だったろうか……。
……そういうわけで、誕生日だと言うのに、会社に残ったボクはこの緻密な計算(略した)にその後振り回されることになる。自分のデスクでは集中できず、会議室の大きな机にパソコンと書類を並べ、自販機からコーヒーを買ってきて、腰を据えはじめた。午前十一時どころか、昼になっても一向に目途は立たず、昼休み返上などしても何ら意味のないことも分かってきたので、昼飯は金沢の有名なカレー屋さんで、Lカツカレーを食ってきた。久しぶりに美味かった。
それからボクは、しっかりと昼休みをとり、午後の部へと英気を養ったりしてしまったのだった。
その緻密な計算作業が終了しようとしている頃、時計は三時半を回っていた。今から行けば、午後七時までには弥陀ヶ原に着ける…、そんなバカな事を考えたりは当然しなかった。
四月とはいえ、標高二千メートルを超える山では、夜はまだまだ冬だ。晴れていたりすれば、冷え方も半端ではない。かつて、雪原に独りテントを張り、一晩過ごしたことがあったが、その時のことを思い出す。ウイスキーの小瓶と柿の種とクラッカーとアーモンドチョコ。主食はカップめん。ヘッドランプで文庫本の小さな文字を追っていた。当たり前だが寒かった。
早朝のコーヒーに立つ湯気は、幸せ気分の象徴のように見えた。間違いなく完璧な冷え方だったが、ボクは幸せだった…。
再び現実に戻る……。いきなり(大概そうだ)机の上の携帯電話がブルブル震え出した。所謂、バイブは携帯電話を生き物のようにするから好きではない。が、音出しはもっと嫌いだ。
あのォ~、もおォ~、出来ましたでしょうかァ~
電話をポケットに入れて、ボクはすぐにパソコンを自分の机まで運び、待っている相手にメールした。緻密な計算がされた…であろう書類は、アッという間に送信済みフォルダに放り込まれた。
それからすぐに、春の医王山の雪景色が背景となったデスクトップに戻し、アア~ッと、小さいとは言えない声を上げて背伸びをした。疲れて、ぐったりし、放心状態になった。そして、再び、立山の雪原が夕陽に染まる光景が浮かんでくると、今度は激しい焦燥感に襲われる。昼間の、真っ白な山肌と真っ青な空もまた強烈に迫ってくる。“オレには、時間がねえんだぞ・・・”と、小さく胸の中で吠えた。
そう言えば、先日、今年還暦を迎えるという俳優の大杉漣が、六十歳になるということで初めて自分の“死”を考えるようになったという意味の話をしていた。余生というものは、単に時間の長さ(短さ)だけで測れるものではないのだという言葉も印象深かった。だからどうなんだと言われても困るが、つまりその、早い話が、やれるうちにやりたいことはやっておこうという、極めて単純明快なことなのだと、ボクは思っている。
そういうわけで、五十七歳にもなり、もう緻密さなんて要らないボクとしては、青空の下で思いっきり背伸びやら深呼吸やらをし、ひたすらしみじみとしたかった……という、そんな欲求を奪われた悔しさにボーゼンとするのみであったのだ。
第五十七回誕生日の一日は、こうして静かにとは言えずに黄昏ていったのである………
はっきり言いまして、
ナカイさんにはそういうのは似合わないのでは。
年齢や立場からして、いろいろあるのでしょうが、
やはり、そう思ってしまいますね。
こちらも誕生日が来たら、もう・・歳です。
そろそろ身を固めなくてはと思うのですが・・・・・
春の立山は、ウィークデーに行くしかないです。
ナカイさんの気持ちよく分かります。
室堂まで開通してしまうと凄い混みようですからね。
しみじみとするには、あの日あたりの
ウィークデーが正解なんです。
しかし、それが果たせなかったナカイさんの
無念に深く同情いたします。
でも、今年はまだまだ雪が多そうですよ・・・
誕生日おめでとう?ございます。
数字とにらめっこしてるより
中居さんらしくていいじゃん。
数字を見てる中居は中居じゃない!
からね。
それぞれに感謝。
みなさん、痛いところを衝くね。
自己矛盾に甘んじる自分自身に
反抗しながらの何十年だったのですよ。
数年前から、ナカイさんは自分の夢を大事にしなきゃ・・・
と言われておるところで、
この胸の苦しみも余生とともに希薄化していく・・・
などと、かなり真後ろ向き的思考も働いたりしとります。
立山は、というか、
春の残雪・山野スキー三昧ツアーには必ず行きます。
いつもの妙高笹ヶ峰方面がやはり有力かな・・・
いろいろと用事はあるけど、これはこれで
年中行事なのであります・・・
ここまでアーカイブするの私くらいでしょうね。
N居さん、今年はどちらでテレマークスキーですか?待ち遠しいですね。
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先日、大杉 漣さんの訃報には驚きました。
「余生というものは、単に時間の長さ(短さ)だけで測れる
ものではない」
今を予感させるような・・・安らかにお眠りください。