『津軽海峡冬景色』at YORK
ボクの話によく出てくる金沢の古いジャズ喫茶・YORKが、まだ片町にあった時代の、ちょうど今頃の季節の、ある夜のこと……
深夜12時が過ぎ、一応閉店時間を迎えた店に短い静寂が訪れていた。
切れのいいジャズを、ガンガンと店内に吐き出していたALTECの大きなスピーカーが、おとなしくなっている。
あれ聴くけ? マスターの奥井さんが言った。
ボクは何と答えたか覚えていない。ただ、あらかじめ聴くことにしていたのは間違いなかった。
奥井さんが手を伸ばして、棚の上からそのLPレコードを取り出した。
しばしの緊張に、息を殺す。そして、次の瞬間…、哀愁を帯びた演歌のイントロが流れてきた。
“上野発の 夜行列車 おりたときから~”
そう、ご存じ『津軽海峡冬景色』の切ないメロディーだった。歌うのは、もちろん石川さゆり。
再び鳴り響いたALTECも、ちょっと戸惑い気味だったが、すぐにこちらも慣れていく。
ボクと、奥井さんはレコードに合わせて歌い始めた。
最初は少し照れ臭かったが、少しずつ歌うことにも慣れてくる。
カラオケとは違い、ここはジャズ喫茶だ。
徐々に声が大きくなると、歌いながら、なぜか胸が熱くなってきた。
2コーラス目になると、歌詞が覚束なくなったが、トーンダウンしながらも、
“津軽海峡 冬景色~”のところだけは、見事に歌い切る。
ボクにとって、モダンジャズは音的に言うと、やや乾いた感じがしていた。
それに対し、津軽海峡冬景色の音には、何となく潤いを感じた。いい意味の湿っぽさがあった。
こんな感覚は初めてだ…、ボクはヨークの薄汚れた天井を見上げながらそう思っていた。
インフルエンザ風邪の最中や、病み上がりの途上中、何をしても中途半端でどうしようもなく面白くない時間が続いた。
当たり前なのだが、まず体力がない。もともと乏しかった思考力もますます低下している。
体力や思考力の低下は、持久力の低下にもつながっていくし、何よりも感性を鈍らせた。。
たとえば音楽などは、何となくダメだった。
垂れ流し的にかけていようとしたアルバムが、途中からなぜか煩わしくなってくる。いつものようにはシックリこない。
音楽はやはり、感覚に左右されるものなのだろう。
体調の悪い時には、いい音楽もダメなのが分かった。
一曲に絞り込んで決め聴きするみたいな場合はまだいいが、ただ垂れ流していては余計に神経を逆撫でされてしまう。
音楽との長い付き合いの中で、こんな感覚を味わうのは初めてだった。
そして、その時に、あの夜の『津軽海峡冬景色』を思い出したのだ。
あの時、YORKという場所で聴いた(そして歌った)あの歌は、本来なら全く異質だったはずなのに、ひたひたと胸に迫るものをもっていた。
本当に心に沁みてくる歌というのは、こういうものなんだなあと柄にもなく思ったりもした。
あれ以来、実はあの『津軽海峡冬景色』が大好きになった。
あの夜、自分に一体何があったのかは覚えていない。
何かがあって、それを忘れるためとか、吹き飛ばすためにYORKにいたとも思えない。
しかし、やはり、あの歌は心に沁みた。
“さよなら あなた 私は 帰ります~”
何とも切ない歌詞がアタマに浮かんでくる。石川さゆりの悲しい表情が、その歌詞とだぶる。
そう言えば、最近あの歌を聴いていない………