休日はアイロンだ
休日、自分でカッターシャツにアイロンをかける。
家人がいない時を見計らって座布団の上に正座をし、左手にシャツ、右手にアイロンを徐(おもむろ)に持って、その特に右手を動かす。
どうしてもアイロンがうまくできないシャツはクリーニングに出すが、簡単に出来そうなものは自分でやる。
その仕分けは、多分シャツの素材などにあるのだろうと思うが、むずかしいことは分からない。
アイロンが好きになったわけは、たぶん無心になれるからだ。
焚火やギターなんかと同じで、一点集中型の無心状態になって、軽くて落ち着いた気分になる。
軽いという表現は100パーセント言い得ていないが、カラダもアタマも何だか解放されたような感じになり、ヒトとしていい状態になっていくのだ。
アイロンはそれ自体が、スーッとシャツの上を滑っていくという、あの感触がたまらない。
その時には、口で軽く「スーッ」と言ったりもする。
長嶋茂雄が、バットを振る時はシューッときたボールに、パシーンとバットを当てる…などと言っていたように、アイロンもシャツをパッと広げたら、その上にアイロンをサッと置き、そのままスーッと滑らせていく…なのだ。
不思議なことには、この時に無心状態が生まれ、まるで悟りが開けていくような面持ちになっている。
今頃の季節ならば、ほんわかとしたスチームもいい味を出す。
この温もりや湿り気は、ちょっとイガラッぽくなっている喉なんかにも按配がよく、風邪防止の役割も果たすという重宝者でもある。
だいたいこういった場合は、ヨーヨー・マあたりのチェロ独奏なんかをBGMにするのがいい。やはり弦楽器の弓弾きのように滑る音がマッチする。
普段はジャズばかり聴いているが、ジャズのようにシンコペーションが強い音楽は、アイロンには向かない。オオッといきなりブレーキを掛けられたのでは、せっかく伸びたシャツの皺もまたぶり返すことになる。
つまりアイロンには、リズムがない音楽がよく、これは無心状態をつくる上でも大切な要素と言える。
シャツは本来ならば三枚ぐらいが適当だ。しかし、一週間のうち働きに出る日は最低五日ある。時には五枚一度にアイロン…ということになったりもする。
長期戦になるかなと思う時は、途中にハンカチ・タイムを挟むのがいい。
ハンカチは実にコンパクトで、その成果もすぐに表れるし、かなりの度合いで癒されたりする。
四枚目に入ってしばらくすると、思いがけず無心になれている。こういった場合の無心には、特別な意味があったりもして嬉しくなる……?
アイロンがすべて終わる頃には、両足ともにかなりのシビレ状態になっているのが普通だ。
しかし、このシビレこそが、無心に、アイロン一筋に精神を統一してきた証であり、敢えて下品に足をパンパンと叩いたりなどしない。
立ち上がって、窓外の風景に目をやり、窓を開けて冷気に触れていると足のシビレがいつの間にか消えていくのだ。
そして、またいつの間にか、自分がアイロンをかけていたという事実すらも忘れていく。
これが、アイロンの凄さなのだろうと思う。
特に大したことをしでかしたわけでもないのに、この充実感は何なのだろうとも思う。
そして、もう何十年も使ってきたアイロンに、感謝なのだ……