小浜の国宝めぐり


 

福井県の小浜と言えば、もうほとんど京都府に近い。金沢方面からだと、敦賀から天橋立へ行く道すがらの街といったイメージも強かったりする。これはボクだけの感覚かもしれないが、実際にクルマで走ってみた印象としては、それほど特徴を感じなかった場所なのである。

かなり古い話になるが、かつて兵庫県の城崎文芸館に仕事で出かけた際に、この道を走った。季節も同じ春。ただあの時は、桜がもう散り始めた頃だった。仕事で城崎町へと出かけたが、“裏の本命”は、城崎のさらに先にあった『植村直己冒険館』で、小糠雨の中を行くセンチメンタルな旅であった。

今回小浜へ行こうと思ったきっかけは、もともと天橋立行きプランが先にあり、しかし、連休の雑踏で帰り道に落とし穴が待っているのでは…と考えたからだ。その結果、一歩半ほど手前の小浜あたりではどうだろうか?という安直な結論に至り、俄かに学習を始めたのである。学習の成果はすぐに出てきた。

小浜の市街に入ることなく、いくつかの古刹をめぐることが出来る。それらには国宝の建築物や重文の仏像などが残されている…、期待が持てそうだった。しかし、不安にさせたのは、この辺りがボクの愛読書であった司馬遼太郎の『街道をゆく』には紹介されていないことだった。

敦賀から京都大原へと抜ける「朽木(くつぎ)街道」(今風に言うと「鯖街道」)は、信長が京まで敗走(かなり必死に)した道として、最初の単行本で紹介されたが、小浜の方には司馬遼太郎も足を運ばなかった?みたいだ。そのせいもあって、朽木街道には四、五回行ったが、若狭の海沿いにはあまり出かけていない。

六時半に家を出ようと思っていたのに、結局七時ちょっと前に出発。大型連休で異常な混み具合の北陸道を、南へと進んだ。敦賀インターで下りてからは、国道27号線をひたすら迷うことなく走り続ける。のどかではあるが、何となくかつて朽木街道で感じていたのどかさとは違う。朽木の方が谷間(あい)といった雰囲気があって、自然の奥深さや歴史の匂いが強かったなと勝手に解釈している。

やはり、司馬遼太郎が足を運ぶ趣としては、朽木街道の方が深かったのだ。

敦賀インターから一時間も走らないうちに、最初の目的地である明通寺への分岐に近付いてきた。ほどなく、27号線を左に入る。ナビのマップにも明通寺は記されている。道は一本の川と水田の中を進む。視界が広がり、奥に小高い山。その隙間を縫っていくのだろうと予測できる。

風景が、ぐっと期待感を高め始めた。そして、しばらく走ると明通寺の駐車場だった。一気に山里深く入ったなあと実感させる木立とせせらぎがある。

クルマを出て思い切り背伸びをする。空気は少し冷たいが、青空が気持ちいい。車中で温められた体が一気に引き締まる感じだ。

せせらぎの橋を渡り、しばらく歩くと、急な石段を控えた山門を見上げる。なかなかではないかと、ますます期待感が高まる。駐車場にはすでに四、五台のクルマがいて、そのこともちょっとした驚きであった。ほとんど来る人はいないであろうなあと、失礼ながら軽視していた自分を戒める。

十時頃であったろうか。用を足してから、ゆっくりと石段を登った。山門で拝観料を払うと、奥の本堂で説明があると言われた。

ここから本堂へ向けてのアプローチもいい。寺への興味がますます高まっていく。

明通寺自体は、806年に坂上田村麻呂によって創建されたと言われるが、本堂は1265年に落成されたらしい。規模は際立って大きくはないが、檜皮葺きの屋根の勾配が美しく、どっしりと落ち着いた感じがいい。

堂の中に入ると、住職さんだろうか、親しみやすい語り口で寺の話を聞かせてくれた。薬師如来さんは重要文化財。平安末期から鎌倉初期の作と言う。しばらくの時間だが、対面していると落ち着いてくる。

奥の三重塔も今開放しているとのことで、見せていただいた。ここも国宝だ。1270年に上棟されたとある。

明治期に屋根が瓦葺きになったらしいが、1957年(昭和32)に檜皮葺に戻されたという。いい話だ。数年前に能登の總持寺の全盛期を再現するジオラマを製作した際、恥ずかしながら屋根を瓦で作ろうとしたことを思い出した。監修の先生に言われて初めて気が付いたが、檜皮葺の価値観みたいなものをそのとき初めて知った。

外に出て、あらためて本堂と三重塔を見たが、美しい勾配をもつ檜皮葺の屋根がいい。

建物自体も新緑の中に古風な佇まいが調和している。驚いたのは、いつの間にと思うほどの人の数だ。あらためてこの寺の存在感を知った気がした。

二十代の頃、奈良の山中の寺などに立ち寄った旅のことを思い出す。これほど人の多い時季に行っていたわけではなかったが、それでも必ず何人かの人と擦れ違ったりして、こういう類には日本人は必ず感応する何かを持っているのだと思ったりした。

本堂前からの眺めは、正面の新緑の小高い山並みが美しく、しばらく眺めていたくなる。明通寺の山号は「棡山(ゆずりさん)」というが、その棡という木が境内に植えられていた。

明通寺を見て、このまま小浜を去るわけにはいかないなあと思い始めた。小浜市が“国宝めぐり”と謳っている意味も理解できてきた。とりあえずと、多田寺という寺へ向かう。明通寺からも近く山間の集落の中にあった。ちょっと道に迷ったが、すぐにたどり着く。

真言宗の寺院で、創建は749年とある。最盛期には広大な敷地を有していたみたいだが、現在は静かに質素に佇んでいる。ここでも山門で拝観料を払い、人の良さそうな老人から中で説明がある旨を伝えられる。

現在の本堂は、1807年に再建されたものという。小さな建物ではあるが、中にいらっしゃる平安時代の作と言われる薬師如来さんは立像。2メートル近い一木造りで、いかにも見守ってくださっているという印象だ。もちろん重文である。その他にも、木造十一面観音立像や、木造菩薩立像も重文の指定を受けている。ここでも数組の拝観者と一緒になった。ますます“小浜の真実”みたいなものに憑(と)りつかれていく…?

空が少しずつ雲に覆われ始めていた。青空の下の爽快だった空気が、徐々に湿り気を帯びて気懸かり的不安要素になっていく。だが、やはり小浜をもっと見たいと思った。

若狭姫神社に着いたのは、多田寺を出てすぐだ。とにかくそれぞれが大した距離を隔てていない。さらに山奥に若狭彦神社という上社があり、その下社である。

若狭彦神社の創建は714年。若狭姫神社の方は、721年というから文句なしに古い。いったい小浜市はどうなってるんだ?と、鳥居の前に立って唖然としてしまう。一礼して境内に入ると、これまた圧倒的だ。

正面に本殿が美しく、静かに佇む。右手には舞台。大木と緑に包まれた境内は、気持ちを正しくさせるに十分な空気で満ちている。同時に入った三人組の同世代グループが、数歩進み佇むたびに感嘆の声を上げている。めずらしいと思うのだが、若狭彦神社は畳や絨毯などの神ともされているのだそうだ。

一方、普通と言えば不謹慎ながら、若狭姫神社は、安産育児の神だという。森閑とする広い境内の真ん中に立つと、いい緊張感が強いられ、こういった場所へ来たことの価値のようなものを感じたりする。そのような思いを、久しぶりに抱いた。

最後のおまけは国分寺もう小さな雨がぽつりぽつりと落ち始めていた。国道脇にすぐ見つけ、それなりに外観だけを見て写真を撮った。

それにしても、明通寺や若狭姫神社などだけも小浜へ足を運んだ甲斐があったなと、ハゲしく思う。我が家からクルマで約三時間。帰りは27号線の渋滞に捕まったが、大した距離(時間)ではない。いろいろと行きたい場所はまだまだあるのだが、小浜にもまだ宿題を残してきたといったところだ。深い歴史観や、寺社の佇まい、山里の風景などが目に焼き付いている。そして、もうひとつ。暗くなりかけた帰り道、小浜の帰りらしく口の中がサバ臭かったのだ……


「小浜の国宝めぐり」への2件のフィードバック

  1. 中居さん
    お一人でいけたのですか
    GWでも混んでない穴場でしたね
    でもその辺りから
    近江八幡辺りまでは
    歴史の宝庫でしょうね

    自分も時間を作り
    行きたいです!!
    又お会いしましょう!!

  2. 北中さま、読んでいただきありがとうございます。
    PCメール開けてなくて、失礼しました。
    ボクは時々ふらっと小旅をしていますが、
    こういうのが基本的に好きなんですね。
    今度お店に寄らせていただきます。
    よろしくお願いします。

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