湯涌江戸村にいた


湯涌江戸村。もう10年以上前だったか…

現在の場所への移転計画が進められている中、その計画書の中の30ページほどを受け持った。

仰々しい仕組みの仕事ではあったが、なかなか刺激的な仕事でもあった。

その中でも、フィールドワークは特に刺激が濃く、印象は深い。

眩しすぎるほどの新緑に包まれた白川や、荘川などの保存施設を見学に行った時などは、

得意の想像力で、時空の狭間にいるような錯覚に陥った。

アタマの中での会話は、なぜか東北の言葉で進められていて、囲炉裏の煙の向こうには、おしんがいたような気がする。

閉鎖された旧の江戸村では、明かりのない屋敷の中で震え上がるような霊感や、不謹慎ながら、盗人気分なども味わったりした。

解体が始まると、ある大きな屋敷の中の足場に上らせていただいた。

そして、そこで見た内側構造の素朴さや大胆さ、さらに、巧みさや力強さに胸が躍った。

解体中であったから、グロテスクさがより一層目に焼きついた。

数えきれないほどの季節を経て染み付いた、材料そのものの匂いも刺激的だった。

風雪に耐え抜き、そこに生活する人たちを代々守ってきた、昔の屋敷の逞しさみたいなものも感じた。

つい先日の、春らしく晴れたある日。

美しく装いを変えていく江戸村の屋敷たちを見ていた。

あの時見ていた荒々しい解体の光景は、すぐには甦ってこないが、しばらくすると、自分の中で鮮明に再生されはじめた。

今はみな、きれいになり過ぎて? 落ち着き払い、ちょっと澄ました感じさえする。

しかし、それはそれなりに、またいい風景でもある。

外観よりも中に入って見る生活空間が、より印象深いからだ。

民衆の歴史は、やはり生活空間にあるのだ。と、かなり過分に偉ぶっている。

屋敷から目を離すと、高台からの眺望も文句なしの清く正しい山里風景。

ここは能登ではないから、里山とは呼ばない。と、勝手にまた偉ぶる。

そして、この眺望、温泉街とは逆方向なのがいいのだろうと、勝手に納得する。

そして、なぜかのんびりとし、しばらく静かに眺めている。

 

そう言えば、お会いした江戸村村長のT屋先生とも、かなりの久しぶり的再会であった。

夢二館館長のO田先生といい、江戸村村長のT屋先生といい、お付き合いのある先生方が湯涌で頑張っていらっしゃる。

あと一人、Aという“自然の民”系プランナーの友人もいるのだが、彼の存在もこれから湯涌では必要になってくるだろう。

が、しかし、今湯涌は得体の知れない、妙な、つまりその、何と言うか軽薄な風に吹かれている? と聞く。

偉そうなことは言えないが、こののどかさはそれに耐えられるのだろうか?

いや、耐えなくてもいいのだろうか?

太陽が西に傾き、斜面から伸びたゼンマイに鋭く陽光が当たっている。風も冷たくなってきた。

これから始まりそうなことに、少しいい気分になったりしながら、一緒に行った二人と帰路についたのであった……


「湯涌江戸村にいた」への1件のフィードバック

  1. ・・・Aです(笑)

    そのO先生とT先生も加わった湯涌「まちおこし」(ムラおこし?)のプロジェクトに参加します。
    温泉観光協会はもとより、公民館や町内会、はたまた消防団や青年団、果ては農協や朝市のおとっつぁん、おっかさんまでその構成メンバーに入ってる壮大なプロジェクトです。つーか、壮大すぎ(笑)。

    もちろん、委員長ではありませんが、ソレをまとめるのも大変な作業になりそうで、今からヘンな汗をかいていたりします。・・・うまくできるのかしら?
     

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です