今年いちばんの、コスモスだった


能登・志賀町の国道を走っていると、視界の隅っこに突然カラフルな空間らしきものが現れ、そのまますぐに後方へと流れ過ぎていった。

慌てて顔を向けると、それはコスモスの一群で、無造作な咲き方ではあったが、それなりの美しさで目を引いた。20mほど通り過ぎてから、クルマをバックさせ、写真を撮ろうと思った。今年はまだコスモスにカメラを向けていないことを、その数日前から漠然と考えていたのだ。

 クルマを止め、コスモスが咲く場所への入り口を探した。道路沿いに延びた白いフェンスによって、その場所へは簡単に行けなくなっている。しかし、ちょっと目を凝らすと、フェンスの先に入口らしき場所を見つけた。自転車がそこに停められていた。

道らしきものはなく、ちょっと深めの草の上を歩いていく。無造作にコスモスが咲いていると思った場所は一応畑になっていた。そして、コスモスが咲く中におばあさんが一人しゃがみ込み、草取りをしている姿が目に入った。

 背中を向けているおばあさんに、「こんにちわ」と声をかけると、不思議そうな顔をしながら向き直り立ち上がる。すかさず「コスモスの写真、撮らせてください」と言うと、さらに驚いたような顔になり、「こんなもん撮ったって、なんになるいね・・・」と答えた。

ボクはまた、「すごいキレイですよ」と言った。おばあさんは口元に少し笑みを浮かべているようだった。

しばらくウロウロと撮影していると、「どこから来なすったいね・・・」と、おばあさんの方から話しかけてきた。振り返ると、背中を向けたまま、両手でまた雑草を取っている。「内灘からです」と答えたが、おばあさんは「ほぉ」と言っただけで、手は休めない。

畑には、もう最盛期を過ぎたミニトマトと茄子がまだ実を付けていた。「ここは、おばあさんの畑なんけ?」 「そうやァ・・・、でももう歳やし、なんもできんがやわいね・・・」。

 おばあさんの話では、国道が整備されてから畑が分断され、今いるこの場所は、切り離されたような形になり、それ以降あまり力が入らなくなったということだ。

「今年また、久しぶりに畑しとるがや・・・」

前の年とその前の年、この畑には何も植えなかったらしい。娘さんが病気になり、その看病などで畑に出られなかったらしかった。娘さんの病気のことを聞こうかと思ったが、それ以上のことはやめにする。

おばあさんが顔を上げていた。手も休めている。カメラを向けようとすると、ダメダメと手を振り、すぐにまた手を動かし始める。

ボクは自分の母親も、身体を動かせる間はいつも家の後ろの畑に出て、砂の上にどさりと座り込み、草取りをしていたのを思い出していた。声をかけると、にこにこと笑い返し、小さい頃には見たこともなかったやさしい顔なった。そんな母が死んで10月で2年、三回忌をすませたばかりだ。

 そのようなことをおばあさんに話すと、「こんなことは年寄りの仕事やさけえねえ・・・」と答える。自転車に乗ってやって来るのだから、畑にいた頃のボクの母親よりは、まだまだ若いおばあさんだったが、どこかに淋しい気配も感じさせた。

「ばあちゃんの家、この近くけ?」「この辺の部落の外れやわいね・・・・」 それがどの辺りなのか全く見当もつかないが、一人ぽつんと、コスモスの花の中に埋もれて草取りを続ける姿は、余計なお世話ながら、やはり淋しいのだ。

ボクはもう一度カメラを手に、コスモスの方に足を向けた。背丈も伸び、大きな花びらをつけたコスモスが、秋の日差しと風を受けて、愉快そうに楽しそうに揺れている。その柔らかな身のこなしが、カメラを向けるボクをからかっているようにも見える。

そう言えばと、何年か前に我が家の南側側面をコスモスだらけにしたことを思い出した。圧巻的な光景だったが、台風が来て、ほとんどが倒れてしまった。しかし、コスモスは強かった。一度斜めに傾いたところから、また真っすぐに空に向かい始め、我が家周辺の“多目的空き地(ボクはそう呼んでいた)”は、L字型コスモスの一団で再び活気を取り戻した。

コスモスは可憐なだけではないということを、その時初めて知った。そして、それ以来、ボクはコスモスに一目置くようになった。

 シャッターを押していると、おばあさんが言う。「あんた、金沢の方に帰るんやろ? そんなんやったら、羽咋に休耕田利用してコスモス植えとるとこあっから、そこ行ってみっこっちゃ・・・」 「どの辺?」と聞くと、猫の目(柳田IC)から市内の方に向けて行き、歯医者さんの角を左に折れて・・・・と、説明を始めた。弥生時代の遺跡に造られた公園の近くということが分かった。それで場所は推測できた。

しかし、行っては見たが、おばあさんの畑のコスモスほど心を和ませてはくれなかった。

それからまた後日、砺波の夢の平へ、スキー場のゲレンデ一面に植えられたコスモスを見にも出かけた。たしかに壮観な風景だったが、ここも今ひとつだった。

志賀町のおばあさんの畑に勝てるコスモスはなかったのだ。カッコつけているわけでもなく、感傷に浸っているわけでもないが、今年は志賀町のおばあさんの畑のコスモスがナンバーワンだと決めてしまった。歴代でもかなり上位に入ると思った。

そういうことで、秋ののどかな一日であったのだった・・・・・・

夢の平のコスモス


“今年いちばんの、コスモスだった” への1件の返信

  1. 私にはよく分かりませんが、
    中居さんには、不思議なアンテナがあるんでしょうか?
    普段、何気に見ている風景の中には、
    いろいろなドラマが隠されているんですね。
    ちょっと、立ち寄った場所で、
    素敵なメッセージを受け取った気持ちです。
    これからも時々、立ち寄らせてもらいます。
    中居さんのページに。

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