能登の山里をめぐる道… 門前~富来~中島


「里山里海」という文字をよく目にするようになった。

しかし、この「里山里海」という表現があまり好きではなかった。

特に日本にはもともと「山里」という言葉があり、なぜ敢えて漢字をひっくり返しただけの「里山」という表現に変える必要があったのかと、ネーミング担当者にかなりハゲしく疑念を抱いたりした。

しかし、海と合わせた表現であることを考えた時、「山里海里」よりも、「里山里海」の方が響きもよく、特に、日本海に突き出た能登半島らしい表現かもしれないとも思えるようになった。

ただ、一つだけ言いたいのは、「里山里海」の響きでは、何となく能登の厳しさが伝わらないなと思うことだ。

そんなことはまあ置いておくとして、日本民俗学の今は亡き宮本常一先生の著書に後押しされながら、ボクは最近また、正しい日本の農村風景に思いを馳せたりし始めている。

いや、正確に言えば、これまで自分で感じてきたものを改めて整理し直そうとしている。

大学時代からだろうか、自分にはどうもそういう風景に弱い血が流れていて、車窓から見える風景にも、思わず心が奪われるといった傾向があったみたいだ。

そういった積み重ねが、どうも今頃ピークを迎えつつあるのかも知れないと思う。恥ずかしながら……

 

さて、能登の農村風景が日本の代表的な農村風景にあたるかどうかについては、大それたことは言わない。

しかし、単なる田園地帯の広がりとか、山深く高い山々に囲まれているといった感覚ではなく、能登の農村風景にはこじんまりとして心が通った素朴さがあり、それが独特の生活感などを生んで心を打つのだと思っている。

 

五月の下旬、輪島からの帰りに、旧門前町から山越えし、旧富来町に抜け、さらにまた山越えして旧中島町に至る道をクルマで走った。

一昨年前の夏から、このルートの一部を何度も走ったが、その時の感動は今は少し薄まりかけていて、さらに新しい刺激を求めていたのだ。

 旧門前町(現輪島市)の海岸線道路(国道249号)を折れて、仁岸川に沿いに山間に入っていく。

このあたりの海岸線の地区は横に伸びていて、奥行きはあまりない。すぐ後ろが高台だったり崖だったりもするが、この山間に向かう道は仁岸川に沿っていて、人家の集中する場所を通り過ぎても、その後方には広々とした水田地帯が広がっている。何度来ても、気持ちの良いところだ。

田植えを終えて水の張られた水田にシラサギがいる。

その姿が凛々しく、クルマを止め、助手席の窓を開けてカメラを構えた。

川にかかる小さな橋を二つ渡ると、道は二つに分かれ、右の方へとハンドルを切る。

しばらくすると、川は小さな渓流のような様相に変わり、木立の中に道が吸い込まれていく。

このまま道なりに行くと、馬渡という地区を経て、ひたすら旧富来町へと進むのだが、ちょっと脇道へとそれることにする。

舗装はされているが、薄暗く狭い上りの林道だ。あまりクルマが走っているとは思えない。

道はしばらくで鬱蒼とした木立を抜けた。立体的な大きな道路が見える。

ここで自分の居場所が分からなくなった。相変わらず地図など持ち合わせていない。カーナビなどは、仮に付いていたとしてもあまり役を果たさないだろう。

小さな道がカーブを描きながらの上りになり、大きな道路につながった。

狐に騙されたみたいになってクルマを降りると、大きな道路は上に伸びているが、バリケードで通行禁止になっている。

そして、自分が走ってきた狭い道は、大きな道路を突き抜けて脇へと上っていた。

その先に一軒の民家があった。こういう光景は何度か見たことがある。

昨年の夏、いしるを造る作業を取材した時、かつて出来立てのいしるを樽に入れて背負い、山を越えて売りに行ったという話を聞いた。

主に女性の仕事で、夕方に出て、翌朝届け先に着くのだと言われた。その時に、山の中に一軒だけぽつんとある家とかもあって、今から思えば大変な重労働だったという話だ。

今見えている家は、まだまだ近い方なのだろうが、さらに山深いところにもこういった家々があるのだろう。

それにしても、その一軒の家につながるための道の存在に、妙に心を打たれる。

そのまま道路を下った。また分岐があり、そこでもクルマを止める。狭い畑に、見るからに高齢のおばあさんが立って作業をしていた。

あのおばあさんは、この山間からどこへ帰るのだろう?

時間を考え、左に折れてさらに下っていくと、途中の水田横の斜面に夫婦らしき二人が座っている。

その様子が文句なしにのどかで、写真を撮らせてもらおうかとブレーキに足をかけた。しかし、タイヤの音に二人が驚いたみたいだったので、そのまま下ることにした。その日最大の後悔であった。

下った先は、さっき仁岸川にかかる二つ目の橋を渡って分岐した道につながっていた。

つまり、元に戻ったことになる。別に狐に騙されたわけではないのだが、思わず苦笑い。

傾斜の高台から眺めると、水田の先に家々があり、その先には日本海が見えている。

畦の草を燃やす煙がぼんやりと立ち、“日本”を感じる。実にいい空気感だ。

能登の農村と漁村とが共存する姿がここにあるのだと、妙に納得したりしている。

一旦下に戻り、分岐を今度は左折して上りに入った。

ここから馬渡という地区にある十字路までは、左手に広がる水田とその奥の小高い山の斜面が美しい。緑が圧倒的にきれいなのだ。

十字路の左方向は立派な道で、緩い上りだが、バリケードで一応通行禁止になっている。しかし、ちょっとだけ隙間があり、その間隔がいかにも「行きたい人は行ってもいいのだよ」と言った感じに見えている。

それではと、ちょっと百メートル ほど侵入してみることにした。

素晴らしい山里風景だ。西日が逆光的に差し込んでいて、水田に陽光が反射している。

この出会いには、大いに感謝だ。

戻って、十字路を直進してみると小さな集落があった。道端のおばあさんが何か作業をしているが、こっちには目もくれない。

さらに奥へと進むと、家は途絶え、狭くなった道は上の方へと延びていたが、犬を連れて散歩中のご婦人が下りて来たので、こっちも方向転換し、もとの道へと戻った。

自分がかなりの不審者に見えるであろうことは、当然自覚していたのだ。

十字路に戻り、左折して旧富来方面へと向かう。

すぐに窕(かまど)トンネルを抜け、道は徐々に上りの角度を強くしていく。

しばらく行くと、右手にまた一軒の家が見える。建物はいくつかあるが、住まいと作業小屋などだろうか。

今クルマを走らせているのは、広域農道の立派な道路だが、ここにもその家のための小さな道がついている。

広域農道を挟んで反対側の斜面には墓も建っていて、家と墓をつなぐ道が広域農道で寸断されている形だ。行き来は、農道を横切らなければならない。

去年の旧盆の頃、墓参りする人の姿を見た時に、なぜかほっとしたのを思い出す。

見下ろす水田と湾曲した小道が美しかった。

 

道路はすでに旧富来町に入っていて、栢木という地区で、右手の小山の麓に建つ小さな愛宕神社を見ながら下っていく。

神社の姿はずっとここを通るたびに気になっていて、雪融けの頃、思い切って境内にまで行ってきたばかりだった。

アップダウンを繰り返す。このあたりはかなり高品質な現代的道路で、歴史もクソもなく80キロほどでぶっ飛ばしていく。対向車もほとんどいない。

そして平地に下りてくると、貝田というあたりで左の道に入り、さらに進んだT字路で、また左に曲がった。

二台がやっと擦れ違えるくらいの道が山里風景の中に伸びている。

大きな寺と美しい家並みが連なる場所があった。

敢えて近寄らず、水田を挟んだ距離からじっくり眺めると、素晴らしくいい調和感に嬉しくなった。

ここもまた、なんと素晴らしい出会いなのだろう。しばらく右へ左へと歩いて移動しながら、眺めを楽しむ。

どんどん奥へと進むと、右手が緩い棚田。左手には平地に水田が広がっていく。ここでも一人のお母さんが忙しそうに田んぼの中を歩き回っていた。忙しない足の運びが、水を切る音でも感じられる。

陽が大きく西に傾き、水田を斜めから照らしている。

もう人家も見えなくなったので、途中で引き返すことにする。

戻って広い道路にぶち当たると左折。右へ行けば富来の中心部だ。

左折した道は、山の方へと向かっている。道なりに行くと、旧中島町(現七尾市)に通じる。

クルマから下りると、ちょっと肌寒さを感じるくらいになっていた。

かなり長い山道だと感じた。特にこれと言った特徴はないが、風景には素朴な空気と生活感が匂っていた。

あらためて広い水田地帯を見ていると、これが日本的な農村、山里風景なんだろうなあと思ったりもする。

 かつて、門前剱地・光琳寺のご住職で、歴史研究家でもある木越祐馨先生から、能登の山里について話を聞いたことがある。

その時先生は、今いる辺りの風景も能登を代表するものだと言われていた。

旧門前から旧富来や旧志賀、そして旧中島。さらに、かつて何度も訪れた旧能都町や旧柳田村、そして輪島や珠洲や内浦などの山里風景には、ほっとするというよりも、ハッとするといったものとの出会いを感じたりもする。

生活感覚は変わっても、やはり変わらないものはある。それは自然をベースにしたものだ。

しかし、過疎という不気味な現象によって、自然をベースにしたものたちが、何かに形を変えようとしているようにも感じる。

奥部で目にした、かつての水田の跡。道も、通るものがいなくなり、少しずつ土に被われ隠れていく。

自分の居る場所も、タイムスリップした後のように感じて怖くなった。

道が自然に消えていくというのは、恐ろしい。

単調とも言える道なりの風景。単調と思えるようになったということが、その中に溶け込んだということなのだろうと勝手に解釈する。

道沿いに立派な構えの神社があった。国指定重要文化財・藤津比古神社とある。

何気なくクルマを止め、境内に立つと、そこからも水田の眺望がある。

何があるわけでもないが、何かがある。何かがあるようで、何もなかったりもする。

人の生活というのは、本来そういうものだったのかも知れないとも思う。

時計を見て、再びクルマへ。太陽は山蔭に隠れようとしていた。

やがて能登有料道路の横田インターへと近づいていったのだ。次はどこへ行こうか……

 

 


“能登の山里をめぐる道… 門前~富来~中島” への1件の返信

  1. 石動山の話に続けて読みました。
    ぐっと引き込まれてしまい、
    しばらく中居さんの文章の世界、
    そして、能登の素朴な山里の雰囲気に
    飲みこまれていた感じがします。
    とても感動しました。
    さあ、仕事しょうっと…です。

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