カテゴリー別アーカイブ: 映画のこと編

イーストウッドも ボクもジャズ的だったのだ

 <大それたタイトルに自問しつつ……>

 クリント・イーストウッドがジャズピアノを弾く姿を、先日初めて見た。

 NHKの、親しみやすくてとてもいい番組でのことだ。アーカイブだから、かなり前の番組だったと思う。そして、彼のピアノは驚くほどの腕前のように見えた。

 後方に、デューイ・レッドマンの息子であるジョシュア・レッドマンなどが立っていて、イーストウッドは長身の体を捻じるようにしながら軽快に鍵盤を叩いていた。

 高校時代、家の近くの店でジャズピアノを弾き、家計を助けていたという。

 そんなエピソードが、イーストウッドをさらに好きにさせた。

 ボクは『荒野の用心棒』で彼のファンになった。細めた目で短く細い葉巻を噛む表情がたまらなかった。まだ小学生だったが、あの表情を真似しようとしていたことは事実だ。

 それから『ダーティ・ハリー』でも、あらためて彼を好きになり、彼のトラッドファッションに強く憧れた。腰を屈めて銃を構える定番ポーズも、裾を萎めたスラックス姿にまず目がいったほどだ。

 

 クリント・イーストウッドがジャズピアノを弾く。

 そのことと、映画監督としての共通点について彼は語っていた。そして、そのことが自分にも当てはまっているなと感じ嬉しくなった。

 イーストウッドが語っていたのは、映画を作る上で大切にしている「直感性」と「即興性」が、ジャズをやってきたことの影響かもしれないということだった。

 この言葉は、ガツンと胸を突いた。胸を突いてから、いい意味で胸を苦しくした。

 久しぶりに味わう名言だった………

 

 ジャズを聴くようになったのは中学生の頃だ。まわりにはそういう友達はいなかった。

 その後もずっとジャズを聴き、ジャズ的に趣味の幅を広げ、ジャズ的な価値観を軸にして生きてきたように思う。

 自分には他の連中とは異なる感覚みたいなものがあると今も思っているし、どれだけ頑張ってもカンペキな同調など求められないと感じるケースがよくある。

 そして、ジャズ的感性はニンゲン関係やそこから発展していった趣味・嗜好の世界、そして、仕事の世界でも存分に威力を発揮してきたと思う。

 面白い発見もあれば戸惑う場面などもたくさんあったが、それらはボクのそうした感性がもたらしたものではないかと思ったりする。

 そして、趣味の世界ではそれをコントロールできても、仕事の世界では何度もマズかったかな?という場面に遭遇した。

 

 何年か前、あるイベントでパネルディスカッションを任された時だ。

 つまり、よくあるコーディネーター役をやってくれと頼まれたのだが、ボクは一週間前のパネラーたちとの打ち合わせに紙切れ一枚の資料しか持参しなかった。

 そして、堅苦しいネーミングをやめ、「トークセッション」とし、自分の役割も「ナビゲーター」としてくださいと主催者に告げた。

 なんとなく、そんな感じがよかった。そして、いつも通って(入り浸って)いた「香林坊ヨーク」というジャズの店の、奥井進マスターとのやりとりをアタマに描いていた。

 トークを「遠く」と重ね、“ 近くでトーク ”などと表現したりしていた。

 打合せで、全く説明らしきものもないまま、自分はこんなスタンスで進めていくので、皆さんにはその場の雰囲気でお答えいただければ…みたいなことを話した。

 すぐに主催者側からクレームが出た。もう少し詳しい説明をお願いします…などと怪訝そうな顔つきで言われた。

 が、ボクは通常の仕事でパネルディスカッションというものの“つまらなさ”を実感していたこともあり、説明はそれ以上しなかった。

 実はこの役目は私的にオファーがあったもので、ボクはかなり挑戦的でもあった。

 ゲストたちも自分で選んだ金沢のクリエイターたちで、そんな彼らが持っているであろう感性に期待し、本番ではシナリオなどのない臨場感に満ちたトークを求めていた。

 そして、彼らは期待に応えてくれ、本番はそれなりの思いを残してフィナーレを迎えた。

 打ち上げの時、普段あまり褒めてくれることのない某大学教授が、真っ先にビールを注ぎに来てくれた。

 しかし、その時のトークセッションは、今カタチになって残っていたりはしない。

 それはN居というナビゲーターが、たいした地位になかったからに過ぎず、もしそれなりの地位にある人が同じことをやっていたら、活字化されたりして広がっていたかもしれないと思う。

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 あの時のことを振り返ると、自分はジャズ的だったなあ…とはっきりと意識する。

 そして、今も当然変わりようはないのだが、そういう感覚をいつも好意的に受け入れてきたという認識もない。

 いや、逆に人生の重要なポイントみたいなところでは、その感覚によって損をしていたかもしれない。先を見て生きていくということが得意ではなかった。

 しかし、それがジャズ的だった…なのだ。

 エリントンが、レコーディングのやり直しを迫るコルトレーンに、ジャズは即興だから…と諭したというエピソードがすべてを物語っている。

 ボクはずっとジャズ的だ。今は亡きヨークの奥井さんにつけたキャッチ……「ジャズ人生からジャズ的人生へ」の意味を、今まさに自分に当てはめている。

 クリント・イーストウッドがジャズピアノを弾いていたこと。

 直感的に、即興的に…… 何の意味もない創作話をこしらえたり、今こうして、自分のなんでもない周辺話を綴っているのも、まさにジャズ的なのだと思う…………

アラン・ドロンよりも ジョン・ウエインだった

 アラン・ドロンが現役を引退するというニュースを聞いて、なぜかいろいろなことがアタマの中に蘇ってきた。

 小さい頃から洋楽・洋画の世界が身近にあったせいで、かなりませた田舎少年へと成長していったのだが、アラン・ドロンという存在はどうも苦手で、家にいつもあった映画雑誌に写真が出てくると(大概必ず出ていた)、なぜか目をそらしたり、すぐにページをめくったりしていた。

 それは、彼には必ず女優の匂い(こんなの田舎少年の実感ではないが)が付きまとい、そこら辺のところで、まだ小学生の身にはちょっと正視できない雰囲気があったからだと思う。

 そして、“したり顔”で二枚目を誇っているような様子などで、ひたすら不健全なイメージしか持ちようがなかった。

 アラン・ドロン系のことでいい印象というと、『太陽がいっぱい』のテーマ音楽だ。

 あのサウンド・トラックだけはよく聴いた。シングル盤だったと思うが、子供心にも、三拍子のリズムがキラキラと輝く海面と、その上で揺れ動くヨットを思い浮かべさせた。自分が海で育ったせいだろうか。『地下室のメロディ』のテーマなんかも家ではよくかかっていたような気もする。

 ついでに書くと、この手の音楽では『鉄道員』というかなり切ない映画のテーマも好きだった。いや、好きだったかどうかは分からないが、よく聴かされていて、耳に馴染んでいくうちに少年のココロにもそれなりに何かが届くようになっていったのかもしれない。

 最近ほとんど聴く機会はないが、ボクにとっての切ない系音楽の代表格と言えるかもしれない。懐かしい。

 『太陽がいっぱい』も『鉄道員』も、映画そのものは見ていなかったが、ストーリーは読み込んでいて、子供ながらもそれなりに理解していたつもりだった。

 アラン・ドロンから始まったが、本来フランスの俳優(映画も)にまったく興味がなかったのは、西部劇を中心にして活劇ものばかりを見ていたからだ。

 もちろん兄の影響があってのことだが、ボクの最大のヒーローはジョン・ウエインだった。

 つまり、強くて、頑固で、口下手で、女なんか面倒臭せえ…みたいな、最近そういう人物像を描いても全く受けないであろうことは十分に予測できるが、そうしたジョン・ウエインの役どころが好きだった。

 ちょっと高めのハット、しかめっ面で、首に巻いていたあれはバンダナだろう、チョッキには保安官バッチが光り、ライフルをだらりと下げ、やや肩を傾けながら歩く姿は全くカンペキにかっこよかった。

 本場アメリカの西部劇が、ただ分かりやすいだけの単純な活劇から脱皮していく過程で、マカロニ・ウエスタンなるものが西部劇を変えるようになっていくが、ボクが西部劇に求めていた要素のひとつは、スクリーンに広がる壮大な風景描写でもあった。

 アメリカでのロケがむずかしくなり、スペインなどで撮ったという話もあったが、あの広々とした大地での活劇そのものが、ボクにとっての西部劇の魅力だったのだと思う。

 音楽もマカロニ・ウエスタンになってからは、一層濃くなった。いや個性的になったと言うべきかもしれない。

 ハリウッド時代の西部劇テーマも名作ばかりで、うちにはほとんどのレコードがあった。そして、それらはほとんどが先に音楽だけを聴いていて、実際の映画は大学生になってから見たり、テレビの洋画劇場で見るしかなかったものもあった。

 マカロニの方が流行り始めた頃のエンニオ・モリコーネの音楽は、最近でもたまにラジオから流れてきたりすると嬉しくなる。

 マカロニの俳優では、イーストウッドよりも、ジェンマよりも、フランコ・ネロが好きだった。

『真昼の用心棒』のフランコ・ネロは、少し弱さも併せもったガンマンの役で、そういう意味ではジェンマにも共通するものがあったが、ネロの方がはるかに人間臭く、男臭く、役者的匂いも強力だった。ついでに言うと、ネロは顔も凛々しくて好きだった。

 最後にアラン・ドロンについて、自分の中の数少ないエピソードをもうひとつ書くと、三船敏郎、チャールズ・ブロンソンと共演した異色の西部劇『レッド・サン』で、ボクのイメージに合ったドロンらしい役を演じていたが、あの中での最も軽い存在感には充分納得したのを覚えている。

 ただ、なんとなくあのあたりからドロンに対する偏見(?)は、急激に修まっていったような気がする。

 まったく西部劇的ではないとするドロンを思いながら、そう言えば、武士役で出ていた三船などもカンペキに西部劇的ではないな……と、当たり前のように考えていくと、やはり映画の世界での大物俳優たちの存在感は共通するものなのだと、子供の時に感じたことを引きずってきた自分を反省した。

 しかし、アラン・ドロンの出演した映画は、結局『レッド・サン』しか見ていない。正式に言うと、映画館でということだが、あの『太陽がいっぱい』も、BSの映画劇場で見ただけだった。

 本来、アラン・ドロンについて考えても、つまるところはジョン・ウエインなどの話になってしまう、そういうことなのだろうと思う………

観葉植物と「卒業」と抜歯と

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居間に観葉植物を置いてから一ヶ月ほどして、その木が「ベンジャミン」という名前であることを知った。

なぜ知ろうとしたのかというと、あまりに落葉が多く、その対処法を調べるために木の名前が必要だったからだ。

そして、落葉に対する処置はすぐに分かったのだが、その「ベンジャミン」という木の名前が気に入ってしまった。

ベンジャミンは、映画『卒業』でダスティン・ホフマンが演じた主人公の名前だ。

たしかベンジャミン・ブラドック。スペルは、Benjamin Bruddockだったろうか?

何を隠そう(と言うほどでもないが)、大学一年になったばかりの6月だったと思う、

ボクは新宿の小さな映画館(たぶん「名画座ミラノ」?)でその『卒業』を見た。

それまでああいう系統の映画にはほとんど興味を持てなかったのだが、何となく大学生になったのだからみたいな感じで見てしまった。

その後、何を血迷ったか、紀伊國屋へ行き、洋書コーナーで原作を買い、辞書なし読みをした。

英会話をマスターして大学を出ようと、当時は真剣に考えていて、この時の真摯な気持ちが続いていたら人生変わっていたかもしれない。

一本300円くらいだったと思う。

ボクはそこで寅さんシリーズを、一度に6本連続して見たことがある。

5本目あたりから、同じ失恋ばかり繰り返す寅さんのどうしようもないバカぶりが許せなくなり、7本目の途中で帰った。

『男はつらいよ』10本立てという、今では考えられない企画で、10本立てでも値段は大して変わらなかったと思う。

ついでにそういう映画館の話をする。

兄弟が多く、しかも末っ子だったボクは幼い頃から洋画好きの兄の影響を受け、映画雑誌「スクリーン」や「映画の友」「キネマ旬報」などからませた情報を数多く入手していた。

小学生だった頃から、リアルタイムに上映されていた映画は連れて行ってもらっていた。

たとえば、バート・ランカスターなど錚々たる俳優たちが揃った『プロフェッショナル』とか、ジョン・ウエインの『リオ・ロボ』、それにクリント・イーストウッドやジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロらのマカロニウエスタン。ゲイリー・ルイスのコメディ。数えあげたらきりがないほどの映画を見ている。

しかし、もうすでに上映期が終わっていたものは、兄からストーリーや、サウンドトラックなどを聞かされるだけで、それでも好奇心旺盛の少年には強く心に響くものがあったのだ。

そんな話だけ聞いていた映画の数々を、学生時代に実際に見て回った。

特に兄が大好きだった西部劇などのアクションものは、その頃初めて見に行き、初めて見るのに懐かしさを覚えると言った不思議な感覚になっていたのを覚えている。

『シェーン』や『OK牧場の決斗』、『真昼の決闘』、『リオ・ブラボー』など、数えたら切りがないほどだが、幸か不幸かほとんどストーリーを先読みできた。

さらにあの『ローマの休日』もその頃、300円で見た記憶がある。

あれはひょっとして二度目だったかもしれない。

ただ、自分が生まれた年に初上映された映画の中の、オードリー・ヘプバーンのあの容姿、声、話し方、仕草、そして、グレゴリー・ペックとのラストのキスシーンなど、すべてが胸に迫るばかりだった。

ボクの人生観を変えるほどだった(…かも知れない)とも言っていい(…かも知れない)。

話を『卒業』に戻そう。

と思ったが、本題は観葉植物である「ベンジャミン」である……

ベンジャミンのよく落ちる葉が気になり始めた頃、ボクの歯医者行きが決まった。

葉っぱの「は」と、虫歯の「は」が繋がった…のかもしれない。

予約から10日ほどが過ぎた休日明けのお昼前、ボクは金沢竪町のMさんという歯科医院を訪ねていた。

虫歯になってから放置してきた親知らずが、原形を崩してギザギザ状(それほど大袈裟ではないが)になり、それが舌に触れて痛かった。

その場でギザギザを少し削り、それから数日後、その歯つまり親知らずを抜いた。

親も知らないほどの奥歯なのだが、持ち主の本人も初めてその姿を見た。

どこがどうなっているのか? 説明を聞きたいと思った。

しかし、その惨めな姿と対面した時にはもうどうでもよくなっていた。

こんなふうになるまで見捨ててきた自分の罪深さを恥じたのだ……

映画『卒業』の中で、ラストに教会から一緒に逃げ出すエレーヌ(キャサリン・ロス)は、ベンジャミンのことを「ベン」と呼んでいた。

突然また話が戻ったが、ベンが教会のガラスを叩きながら、「エレーヌ、エレーヌ」と泣き叫ぶと、エレーヌも「ベン」と答える… 感動的なラスト・シーンへと向かう場面だ。

しかし、我が家では居間のベンジャミンのことを「ベン」とは呼んでいない。

実は今日あたりからそうしようかと思っているのだが、家人たちの反応が気になっている。

そんなわけで、ベンジャミンの葉っぱ落としグセも、処置後はだいぶよくなってきた。

初夏に向けて、新しい葉っぱの色も爽やかな緑で気持ちいい。

照れ臭いが、今夜から「ベン」と呼んでやろうかな………