hisashinakai
タグ: エッセイ

能登半島に踏みあとを残していくこと
✍ 消えていく道と山里からの黙示 ~能登の山里をただ歩き始めるまでの自分記 ~こんな なんもないとこへ なんしに来たがいね~ 1 ブリの頭を分

黙示~能登半島
「黙示」という言葉を初めて目にしたのは、映画『地獄の黙示録』だ。 そして、その意味を初めて感じ取ったのは、岡田喜秋氏の『常念岳の黙示』というエッセイを読んだ時だ

🖋…マンガ『加能作次郎ものがたり』に込めたこと
能登の小さな漁村から、ふるさとをテーマにして始まる物語。 石川県志賀町教育委員会発行の、ふるさと偉人マンガ『加能作次郎ものがたり』がこの3月に完成し、地元の小中

🖋…… 鳥居は倒れても、注連縄は残っていた
能登の山里が黙示すること 鳥居は倒れても、注連縄(しめなわ)はしっかりと張られてあった。 何度も訪れてきたなつかしい山里の集落。 もう初夏になろうかという季節に

🖋 能登の素(す)は死なない
令和6年能登半島地震 半世紀近い関りの中で想うこと 能登の素(す)の部分に潜んでいた脆さを、今この時になって思い知らされた気がする。 そして、大切な能登がじっと
🖋 マイルス・デイビスが金沢にいた1973年7月1日の夜と それを30年後に再確認しようとしたイベントの話など
あの金沢コンサートから50年…… 上の写真は、2003年当時2年がかりでやっていた自主企画・自主運営イベントを紹介するNHK-FMの録音テープだ。翌年の本番に

🖋 河北潟放水路が創りだす新しい風景の可能性
◆ 空を見上げ、水面を見下ろし、風に吹かれ、何かを感じ、何かを想う。そんな新しい風景の魅力 ✎ 2022.7…… 河北潟放水路の斜面がきれいになっている。 河
🖋 年末帰省旅からの読み始め
●第22回家の光読書エッセイ 佳作 学生時代の年末の帰省。その東京・金沢間の旅中で読み始める本を選ぶのは、当時の私にとってそれなりの楽しみであった。いつも本は

🖋 一枚の写真が思い出させてくれた人・とき
笹ヶ峰の残雪の上で 星野道夫の一冊と過ごした時間 15年以上前に撮った一枚の写真。 5月はじめの妙高・笹ヶ峰だ。 ゆるく傾斜した雪原で、美しいYの字形の倒木を見

🖋 奥能登~ふるさとの匂いに包まれた小さな図書館
◆ 門前図書館と柳田教養文化館が黙示する……「ふるさとの図書館」というポジション 🖋 図書館という不思議な世界 能登半島の先端に近いあたり、「

🖋 奥能登の山里を歩き想うこと~爼倉・鶴町
◆気になっていた場所 木々に囲まれた神社の小さな境内は、紛れもない静寂の世界だった。 ここに立つのは二度目だ。 一帯は4月の中旬なのに春をとおり越し、初夏の空気

🖋 金沢と能登・柳田村を結ぶ小さな想い出
金沢の街にあまり強く感じるものがなくなってから、何年かが過ぎたように思う。 今はただ漠然と街なかを歩いていたりする。特に新幹線と逆流するかのように、金沢観は

🖋 うつくしき町を歩く「奥能登・珠洲蛸島」2016秋
奥能登・珠洲蛸島の入り組んだ町を歩いてきた。 暦では秋も深まり、しかも能登半島の先端に近いとくれば、そぞろ歩きなどあまり適さないと思う人もいるだろう。 しかし、
🖋 能登の山里をめぐる道… 門前~富来~中島 2012.06/02
「里山里海」という文字をよく目にするようになった。 しかし、この「里山里海」という表現があまり好きではなかった。 特に日本にはもともと「山里」という言葉があり、

🖋 能登の山びとの一端を知る
『山に生きる人びと』(民俗学者 宮本常一著)。 少なくともボクにとって、この本には、人が山とのつながりを作っていった、さまざまな過程がきめ細かく紹介されていて、