投稿者: hisashi nakai
ガムとインフルエンザ
ガムについて考えたのは、インフルエンザが流行し始めたぞというニュースが、会社内に流れた日の夜のことだ。 社内に感染患者が数名発生し、予防に関する情報が各自のパソ
感受性を取りもどす年頃に
去年は還暦の翌年だった。 この場合の「翌年」は「よくとし」と読んでもらいたい。 と言いつつ、今自分のライフワークと位置付けている某ミュージアムで、4作目の短編ム
初夢から解かれる
1月も半分が過ぎたので、初夢の話を書く。 と言っても、いい夢ではなかったので、内容はあまり書きたくない。 ちょっとだけ書くと、仕事上のトラブルが発生して関係者に
ジャズと出合った頃に帰れる一冊
10代の中頃から、“一気”にジャズを聴くようになった。 聴くだけじゃなく、ジャズの歴史やモダンジャズの代表的なミュージシャンたちのことを知ろうとしていた。 レコ
金沢の高尾山を初冬らしく歩く
12月中頃の土曜の午後、つまり初冬の休日の午後である。 金沢の奥座敷こと湯涌温泉から高尾山方面を歩いてきた。 特に計画らしきものもなく、いつもの湯涌ゲストハウス
金沢文芸館~五木寛之文庫の仕事記
金沢市尾張町にある「金沢文芸館」がこの11月で10年を迎えていた。 もっと歳月が過ぎているような感じだったのだが、意外だった。 そして、10年を迎えたすぐあと、
明治ラグビーの復活… 早明戦の復活
2015の早明戦は近年にない白熱した好ゲームだった。 明治ラグビー復活の道筋は、監督・丹羽政彦と、今シーズンから就任したFWコーチ・阮申騎(げん・しんき)が作っ
岳沢~晴れときどき曇らずの秋
上高地については、かなりうるさかった。 20代の中頃に行きはじめてから、多い時には一年に10回以上行っていたこともある。 それも最初の頃は登山のための通過点
母の笠を吊るした足軽屋敷
金沢長町の大野庄用水沿いに、二棟の足軽住宅がひっそりと佇んでいる。 二つを合わせて「金沢市足軽資料館」という。 1997年現在地へ移転され、足軽たちの生活や仕事
金沢城・江戸末期のビッグイベントと寺島蔵人のこと
今から10年以上も前、毎年6月に開催される金沢最大の祭りの、その仕組み全般を見直すという仕事に3年間関わっていたことがある。 ほぼ無関心であったその祭りについて
自分の葬式に流す曲
今年も「金澤ジャズストリート」は遠い存在で終わった。 連休初日の真昼間から、尾山町の「穆然Bokunen」でコルトレーンとドルフィーを聴いたら、もうどうでもよく
先生がやって来て、ボクは空振りした。
小学校に行き始めた頃だろうか、いやもっと前かも知れない。 「ギョーセードーロ」という言葉を何気に覚えていた。 それは、今普通に県道と呼ばれている道路のこと
加賀大介さんの写真
100年目を迎えたという夏の甲子園大会が終わった。 多くの人たちが語っていたように、今年の大会は見応えのあるゲームが多かった。 先入観で考えがちな地域差のような
美ヶ原の夏歩き
深田久弥は、『日本百名山』の中で、山には登る山と遊ぶ山があると書いていた(と思う)。 そして、遊ぶ山の代表格として霧ヶ峰や、この美ヶ原のことを書いていた(と思う
🖋 文章は志賀直哉から
✎ 『或る朝』 文章を書くのが趣味のひとつと、ずっと言ってきた。 この雑文集がそれだ。 一応、仕事でも数多くの文章を書いてきたから、比較してみると、意外と仕事で